2016年12月30日金曜日

本を読む子どもの様子


 今回のRWWW便りは、RWを実践している小学校の先生二人が、(1)教室から(2)自分の子どもから、本を読む子どもの様子を伝えてくれています。
 
(1)は小学校の教室からロアルド・ダールに夢中になったある子どもの姿です。

(2)はある先生の家庭から、本が大好きなものの、選書や読み方で成長できる余地も感じられる子どもの姿です。(2)は自分の子どもについて書かれていることもあり、「継続的な観察」の価値がよくわかります。以下の文の中にでてくる「観察を大切にすることで、読書へのお節介にストップをかけることもできます」は、なるほど、と思います。
 
【その1 教室から】
 
ロアルド・ダールの『おばけ桃が行く』(評論社)を読み終えた4年生の男の子。

 「おもしろかった!」と興奮気味に話していました。次に手にした本は『魔法のゆび』。なんと、読みはじめたその日のうちに読み終えてしまいました。

 その後、すっかりダールの作品にはまってしまい、教室の図書コーナーにある『マチルダは小さな大天才』、『チョコレート工場の秘密』『オ・ヤサシ巨人BFG』を次々に読み終えると、ついには「この人はおもしろい本しか書かない!」という言葉も飛び出しました。すっかりダールの作品に魅了されてしまったようです。

 教室にはないダールの作品が読みたくなり、家の人に頼んで『ガラスの大エレベーター』『ぼくのつくった魔法のくすり』などを買ってもらっていました。

 それらもすぐに読み終えて、次に読みたい本のこと考えていました。全てのダール作品を読んでしまいそうな勢いです。

 読者をこんなに夢中にさせてしまうロアルド・ダールの作品のすごさを感じました。

【その2 家庭から】
 
年長になった娘の読書熱がいよいよ高まっています。

『読書家の時間』では、カンファランスを行う前によく観察することの大切さが書かれていますが、教室だと観察するよりもすぐに声をかけてしまうことが多く、その大切さをうまく感じることができませんでした。けれど、自分の娘の読書方法を長い間観察していると、 娘の読書の癖がよく分かります。
 
観察はその場ではよく分からなくても、観察を続けていくことが大切なのだとわかりました。観察を大切にすることで、読書へのお節介にストップをかけることもできます。

  まず、娘の読書を観察することですぐに分かることは、読むのがとても速いことです。大人の私が横について、ページをめくったときから同時に黙読で読み始めても、娘と同時に終わるほど。新しいマジック・ツリーハウスを渡しても、ペラペラとめくって、すぐに読み終えてしまいます。集中力があまりないせいか、のんびり読むということはあまりなく 、駆け抜けるように読み、飽きたら読むのを止めます。理解の程度はどの程度なのか質問をしてみると、大体の内容はつかんでいることが分かりますが、何かこだわって読むということはありません。
 
音読させると、ゆっくり読むことができず、文字を飛ばしたり、語尾を勝手にアレンジして読んだりしてしまいます。私は先生のように接したくないので、「正しく音読してごらん」といったようなことは言わないようにしていますが、娘にとって今度入学する学校の音読は、ハードルの高いものになるかもしれません。

次に観察で分かることは、本をほとんど選んでいないということです。図書館に行くと、目についた本をすぐに読み始めてしまいます。表紙が目立つように置かれている本や、背表紙のタイトルが気になる本など、すぐに手にとって読み始めます。巻が抜けてしまっても大して気に留めていない様子です。

書店では、1冊買ってあげるよと言っても、選ぶ感じはなく、目についたものを「じゃあこれ!」と言って決めてしまいます。「これは薄くてすぐ読んじゃうからもっと選んだ方がいいよ」というと、「じゃあ今読んじゃう」と言って、買ってもいない本を読み終えようとします。なんだか、本は思いを込めて選ぶものではなく、偶然に出会うものと考えているのかもしれません。

目的をもって本を読むこともおもしろいと伝えたくて、図書館司書の方に本を教えてもらうということにチャレンジしています。

例えば、「縄跳びの本を読みたいです」と聞くことができたことがあります。次は、本の予約ができるということを教えていきたいと思います。

最後に、読むことに夢中になっているということです。家で静かになっているときは、大体、本を読んでいるときです。ベッドの上に本を撒き散らかして、黙々と読んでいます。ベッドにいないときは、押し入れの中の秘密基地に人形を持ち込んで本を読んでいます。

家には、自分の母親から譲り受けたたくさんの「こどものとも」「かがくのとも」があります。それを、月ごとにブックスタンドに入れて、運べるようになっているのですが、その箱の中の本を次々と読んでしまいます。もう、自分が生まれる前のものもたくさんあるので、そうとうに古いですが、それでも内容がすばらしいので、大人も読み聞かせをしながら愛読をしています。

図書館に行くと、子どもの本はもうどこに何があるのかは全て分かっていて、いつもの椅子に座り、目についた本を読み始めます。もう、親のことには気にせずに、自由に本の世界を楽しんでいます。

本を読んでいるところをみると、ついつい指図をしたり、親のおすすめの本を紹介したりしてしまいますが、結局自分が見つけた本の方がよく読みます。読んでほしい本は、さりげなく近くに置いておいたり、一緒に読もうと誘ったりします。

声をかけすぎず観察することで、小うるさくならずにいられたり、本当に大切な本を薦められたりできます。親の持ってきた本に、素直に喜んで読むばかりではありません。じっくり観察して、大切な本を素敵に紹介していきたいものです。

 ちなまに、読書家の娘は、今落語の本にはまっています。おすすめは?と聞いたら、「そばせい」だそうです。「まんじゅうこわい」は全部暗記をして、保育園の劇で発表しました。クリスマスには、「だれも知らないサンタの秘密」がお気に入りでした。
 

2016年12月23日金曜日

一人読み



そもそも、「一人読み」は日本の読解教育ではテーマにすらなっていないのではないでしょうか? 国語の時間中の「一人読み=ひたすら読むこと」の必要性に、日本の国語関連の本で言及しているのはあるでしょうか? (RWでは、「ひたすら読む」が使われます。)
朝読(や図書教育に)も含めて、「一人読み=ひたすら読む」を計画し、モニターするという発想はあるでしょうか?
これこそが読み手として育てる一番いい方法なのに。 
日本の読解教育というのは、「読むことはせずに、読むことを教える方法」というきわめておかしな方法を取り続けています。
何のためでしょうか? 
テストのため!?
そうなると、日本の図書(読書)教育もあやしくなりますね。
いったい、日本の「図書/読書教育」は、何のために存在しているのでしょうか?

83 一人読みとあわせて、モデルで示す、(主には解釈/理解の方法を)教える★、ガイドする★★、モニターする、評価する、計画するがバランスよく(しかも、一斉ではなく個々のニーズに合わせて)行われないと自立した読み手は育てられない! ~ とてもまっとうなことがここに書かれているのですが、残念ながら、これらが日本の読解教育で行われているとは思えません。どうりで子どもたちの読む力がつかない!?

84 ただ読ませれば、いいというものではない。難しすぎる本や優しすぎる本を読んでいては、マイナスの効果のほうが大きいぐらい! そうでなくても、時間を無駄に使っていることに・・・朝読でしていることは、まさにここで書かれていること?
85 朝読や図書の時間的な読み方と一人読み(RWのひたすら読む時間)の比較の表★★★ (なお、ここでは85ページに紹介されているのより網羅的な表1を紹介します。)

88 「ひたすら読む」の要素をしっかり押さえることの大切さ ~ 表2のチェックリスト

   この中で朝読が押さえているのはいくつ?? これによって、読むことにはほとんど寄与していないことが明らかに! 何のためにしているのか? 静かな=落ち着く時間を持つため。

91 特に年齢が低い場合に効果的なパートナーとの読み(二人読み)

94~97 自分(たち)にぴったりあった本の選び方
    (これについては、http://wwletter.blogspot.jp/2016/10/blog-post_28.html を参照)


★ この方法については、『「読む力」はこうしてつける』を参照ください。
★★ ガイド読みについては、『読書家の時間』の第6章を参照ください。
★★★ この表から何が言えると思いますか?
    できるだけ早く朝読や図書の時間からRWに移行することです!

    なお、従来の国語(読解)の授業とRWを比較した表は、『「読む力」はこうしてつける』の53ページに掲載されています。


2016年12月17日土曜日

深く学ぶために必要なこと


深く学ぶために必要なこと

 

 早川書房と聞くと、SF小説やミステリー小説を連想する人も多いと思います。私もその一人です。でも、そうではない本もたくさん出版していて、面白い本が多い。チップ・ハース&ダン・ハースの『決定力!:正しく選択するための4つのステップ』(千葉敏生訳、ハヤカワ・ノンフィクション文庫、2016年)もその一冊です。
この本の副題になっている「正しく選択するための4つのステップ」とはどのようなものでしょう。著者は4つのステップの頭文字を使ってそれを「WRAP」と呼んでいます。訳者の千葉さんが本書解説の406ページに示しているものを引用します。

 (W)選択肢を広げる(Widen Your Opinion)
 (R)仮説の現実性を確かめる(Reality-Test Your Assumption)
 (A)決断の前に距離を置く(Attain Distance Before Deciding
 (P)誤りに備える(Prepare To Be Wrong

 『理解するってどういうこと?』には、七つの「優れた読み手が使う理解するための方法」が何度も出てきます。『決定力!』の「WRAP」は、「大切なところを見極める」という「理解するための方法」を使うときの手がかりになります。「大切なところを見極める」ことができれば、その本や文章について考えるための立脚点ができます。だからこそ「理解する」ためには大事なのですが、「大切なところを見極める」には何をどうすればいいのか。
 たとえば、『決定力!』には次のようなことが書かれています。

・「夫は自分勝手だと思うけど、私を気遣ってくれている場面も記録しておくべきかもしれない」「同僚は失礼で無愛想に見えるけど、本当は無愛想なのではなくて、私に時間を取らせまいと気を遣ってくれているのかも?(逆に、私が雑談しようとして相手の時間を奪っているのかも?)」。この「逆を考える」というシンプルな手法で、厄介な認知のバイアスの多くを抑えられることが数々の研究で実証されている。(167ページ)

・選択肢を評価するとき、私たちは無意識のうちに内部の視点に立つ。スポットライトの当たっている情報を検討し、そこから第一感を導き出してしまう。(中略)ところが、これまで見てきたように、ズームアウトとズームインの二つを使えば、このバイアスを修正することができる。
 ズームアウトとは、外部の視点に立ち、自分と似た選択をした人々の経験から教訓を学び取ることだ。ズームインとは、状況をクローズアップし、意思決定の参考になる“色合い”をとらえることだ。どちらの戦略も有効であり、会議室でうだうだと話をしているだけではめったに得られない洞察をもたらしてくれる。(201ページ)

・一時的な感情を重視しすぎるバイアスは、逆の効果をもたらすこともある。道路で目の前に割り込んできた運転手にカッとなるように、私たちは一時的な感情のせいで我を失い、慌てて行動しすぎてしまうこともある。(中略)しかし、本書でずっと見てきたように、バイアスは必然ではない。簡単な心の切り替えを行うだけで、感情と距離を置くことができる。そのためには、時間軸の切り替えや視点の切り替え(「親友に何とアドバイスするか?」)が効果的だ。時間軸や視点を切り替えることで、状況の輪郭をより鮮明にとらえ、難しい意思決定に直面したときでも、賢く大胆な決断ができるようになるからだ。(258259ページ)

いずれも、選択という行為につきものの「バイアス」(偏り)をどのようにすれば捉え直すことができるのかということに触れたものです。本や文章の「大切なところ」を決めるために何をどのように吟味していけばよいのかということを考えるヒントになるのではないでしょうか。
 自分の選んだ「大切なところ」について、「逆を考え」たり、「ズームアウト」「ズームイン」したり、「切り替え」を行ったりすることによって、「大切なところ」を選んだ自分の選び方を再考したり、読んでいる本や文章を新たな目で見直し、捉え直していくことができます。もちろん、『決定力!』は意思決定についての本であって、文章理解についての本ではありません。しかし、「理解するための方法」を使いながら本や文章から深く学ぶためには何が必要かということを教えてくれるのです。「深い学び」の「深い」の意味も教えてくれます。

2016年12月9日金曜日

「他の人の何気ない一言から、魅力を再認識した絵本」

 ここしばらく1冊の絵本ーー『おとうさんのちず』(ユリ・シュルヴィッツ作)
ーーに魅了されました。初めて読んだときは、「まあ、いいか」みたいな印象だ
ったので、そのまま忘れてしまう可能性の高かった本です。
 

 ところが、知人は同じ本について、 「一度読んだときに、あ、これは絶対授
業に使いたいと思った」と、ブログに書いていました。

 「絵本に詳しい、その知人が何か強く感じた絵本であれば、私が見落としてい
る何かがあるのでは?」と思い、読み直しました。結果として、知人の一言が
きっかけで、どんどんその豊かな世界に入り込んでいます。

 私は最初、インターネットの読み聞かせサイト★で英語で読みましたが、知人
とのやりとりのあと、読み聞かせを再度見て、そのあとは絵本も注文しました。

 本が届いたことで、この本が自叙伝的なものであることを知りました。

 また知人から、著者のユリ・シュルヴィッツがこの本について語っているサイ
ト★★も教えてもらいました。

  著者が語っているのは3分半ぐらい(英語)ですが、この語りがまたいいのです。

最初のほうで、小さな島を見て、そのあと、海の中からその島を見ると、水の中のある部分がとても大きい、海の上に見えているのは、その小さな一部分に過ぎない。絵本はその見えている小さな島で、いい絵本というのは、その下の見えない部分がある、というような話です。

 「大人が絵本を読む(子どもも同じかもしれません)価値を言語化してくれてい
る」ように感じました。それで、そういうミニ・レッスンができそう、とも思いま
した。
 

 後半では 食物の必要な現実の世界とイマジネーションの世界の両方があること、
両方とも必要なことを話しています。

 知人とそんな情報交換をしている間に、本の世界にどんどん入り込めます。知
人は、「一つの絵本を深く読むことで、その作家の手法とか思想とかにふれて、
その上で他の著作を読むと、過去には気づかなかった読み方ができる。読み手が
その本の意味に出会い、発見していくというのは、こういうことを言うのだなと
感じます」と書いていましたが、まさに同感です。

  また上述のように、私は「大人が絵本を読む(子どもも同じかもしれません)
価値」というミニ・レッスン案が浮かびましたが、知人の方は、あっさりした
描写の場面と、パンがない場面の詳しい描写等の使い分けから、ライティングに
もメンターテキストとして使えると、考え始めています。                                                       (さらにこの絵本を考えていて、「思考を整理するための図」を書いてみる、というミニ・レッスンにも使えると思いました。現実世界と地図の世界を図にするときに、どう表現するかはいろいろなパターンがあるからです。➡ いい絵本は、ストーリーが分かった後は、いろいろなミニ・レッスンに使えそうです。)              

 何気ない一言がなければ、「まあいいか」で、忘れてしまったであろう絵本で
すが、本について語ることがきっかけで、より深く広く読めることを実感しました。

 そういえば、ジャネル・キャノンの『ともだち、なんだもん!--コウモリの
ステラルーナの話』という絵本も、「この本、アイ・アム・サムという映画の中
で使われていた」という学習者の一言で、 「あ、そうなんだ」と思った本です。

 結果として、 アイ・アム・サムも見て、またジャネル・キャノンの他の本も
数冊読みました。

  どちらの絵本についての「一言」も、「私の読みを深めさせてあげよう」と
思って言われた一言ではありません。でも、そのおかげで私が得たものは大きか
ったです。

 そんな一言が、自分の生活の中で、また教室の中でたくさんあるといいなと思
います。

*****

★ 映画スターが読み聞かせ、絵本も動画仕立てになっているサイトです。英語の字幕も出せます。

http://www.storylineonline.net/how-i-learned-geography/

★★ エリック・カール・ミュージアムで語っているようです。

https://www.youtube.com/watch?v=wEMc_z45n5w

2016年12月2日金曜日

教室内の図書コーナーの大切さ


 大分、古い話になりますが・・・50年以上前の小学校にも、学校図書館は存在し、図書の時間もありました。
 そして、小・中学校時代を通じて、私も「図書館に行って本を読むことは大切なこと」というのは分かっていました。しかし、それを実行しようと教室を出て廊下を歩きはじめると、運動場からにぎやかな声が聞こえてきて、私の身体は自然にそちらの方に引き寄せられ、図書館にたどり着いたためしが一度もありませんでした。

それが、教室の中に充実した図書コーナーがあったら、どうなるでしょうか?★
教師が読ませたい本だけでなく、生徒たちが読みたくなる多様なジャンルやテーマの本が一杯の。★★
教室を出る必要がないのです(そして、数歩でそれらの本を手にできるのです)から、私のような人間でさえ(少なく見積もっても、図書館にたどり着けない子どもたちは、半分はいます!)、学校時代に読む習慣がついたと思いますし、選書能力の練習もできたと思います。そして、友だちとの本の紹介のしあいっこもできたでしょう。

 前号で紹介した『読み方指導の本質』の第5章は「教室内の図書コーナー」に特化した章ですが、その中で、「単なるクラスの図書コーナーではダメで、とても充実したのが必要」としています。
 前章(http://wwletter.blogspot.jp/2016/11/blog-post_25.html)の中で、著者が特に重視している5つの方法の一つに含まれていますし、

 もちろん、充実した教室内の図書コーナーがリーディング・ワークショップ=RW=読書家の時間を実践するネックになってしまってはまずいですし、多様なジャンルの本をすでに抱えている学校図書館の存在は否定しませんが、少なくとも欧米で実践している先生たちは、教室内の図書コーナーを必需品と位置づけています。それなしの読みの指導はあり得ない、と。~ しかし、日本はこの「教室内の図書コーナー」なしで読む教育をやろうというのですから、最初から「読むことが好きで、読む力をもった子どもたちを育てる」という目標を設定しているとは思えません。それではいったい何を目標に設定して国語の時間は行われているのでしょうか?

 図書コーナーへの本の揃え方については、『読書家の時間』(プロジェクト・ワークショップ編著)の第2章「読書環境をつくろう」で詳しく説明されていますので参考にしてください。★★★


★ 私の小・中学校時代は、いまと同じ教室の中に50人弱の生徒たちがひしめいていましたから、たとえ図書コーナーという発想はあったとして、そのスペースをつくるのは困難でした。熱心な先生は設けていたかもしれませんが、スペースがないので、せいぜい数十冊というところではなかったでしょうか?
★★ よりたくさんのジャンルやテーマの本がある図書館と、教室内の図書コーナーの違いは、教師の目を通過しているか否かです。この違いは、大分前のマスターカードの宣伝にあった”priceless”です。教師が、その本について何かを語れるものがあるかないかの。(要するには、本という物よりも人から人へ手渡される部分の方が比重は大きいと言うことだと思います。それを司書が肩代われるか? あなたはどう思いますか? この辺になると、読書家の時間の核にあるカンファランスの話になってきます。)いずれにしても、最低でも数百冊は必要になります。
★★★ 教師ががんばって教えることよりも、子どもたちが主体的に読み続けられる環境を提供することの方が、「読むことが好きで、読む力をもった子どもたちを育てる」にははるかに効果的なのを長年の経験から導き出していると言えます。