『理解するってどういうこと?』の第5章「もがくことをあじわい楽しむ」に三つの「表面の認識方法」と三つの「深い認識方法」が説かれています。そのうちの「深い認識方法」の一つ「関連づけの領域」は、『理解するってどういうこと?』での「理解の仕方」の中心になるものです。どういうものか。「新しいアイディアを自分がこれまでに持っていた知識と関連づけることによって、さまざまなアイディアと情報をたくわえたり思い出したりすることを可能にする」(178ページ)ものです。
読書とはこの意味での「関連づけ」を行うことです。が、あまりに読むべき本が多すぎて、そんなことがなかなかできないということもあるでしょうね。読書する人の姿をみることはできますが、その人がどんなふうに読んでいるのかということを知る機会は案外少ないものですが、その「関連づけ」のありようを考え聞かせしてくれるような本を読みました。印南敦史(いんなみ・あつし)さんの『遅読家のための読書術:情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』(ダイアモンド社、2016年2月)です。まず目次。
第1章 なぜ読むのが遅いのか?―――フロー・リーディングの考え方
第2章 なぜ読む時間がないのか?―――月20冊の読書習慣をつくる方法第3章 なぜ読んでも忘れるのか?―――読書体験をストックする極意
第4章 流し読みにもルールがある―――要点を逃さない「サーチ読書法」
第5章 本とどう出会い、分かれるか?―――700冊の選書・管理術
印南さんは書評家として、いくつかの情報サイトに月60本近く(!!)のブックレビュー記事を寄稿しているライターです。しかしもともと「遅読家」なのだと言っています。「遅読家」なのになぜ月60本も書評を書けるのか? その秘密がこの本のなかにはあります。
印南さんが言うのも、本を読んでわかるということも「関連づけ」の工夫一つであるということではないかと思います。彼は、「「本を速く読める人」と「遅くしか読めない人」がいるのではありません。「熟読の呪縛から自由な人」と「それにまだとらわれている人」がいるだけなのです」(34ページ)と言い、その「読書の呪縛」の元凶の一つが学校教育だと言っています。国語教師の端くれとしての私にとっては痛い言葉です。
「熟読の呪縛」の発端は、おそらく学校教育にあります。
「作者のいいたいことを正しく読みとる」とか「主人公の気持ちを選択肢から選ぶ」といった教育を受けているうちに、「本を読むという行為は、著者の意図を一字一句、正しく理解し、それを頭の中に写しとることである」という不文律を植えつけられてしまっているのです。
なにかのきっかけでその呪縛が外れた人(または最初から外れている人)は、もっとまじめに、自分に都合のいいように本を読んでいます。
一方、熟読の呪縛にとらわれている人は、まるで教師の解説や板書を逐一ノートに書き写す生徒のように、本の内容をせっせと頭にコピーしようとしている。
だけど、その努力って報われるのでしょうか?
読書について、重たく考えすぎじゃないでしょうか?(42~43ページ)
でもまったくそのとおりだと思います。
この本自体がその「熟読の呪縛」から読者を解放する本なのですが、「その本に書かれた内容が、自分の内部を“流れていく”ことに価値を見出す読書法」「ため込もうとしない読書」としての「フロー・リーディング」を提唱しています。「膨大な情報が押し寄せてくる時代」だからこそ、本に書かれていることを頭の中に「蓄積」する「ストック」型の読書法に換えて、「フロー・リーディング」が重要だと印南さんは言うのです。でも流されてばかりでは本の内容が記憶できないのではないか、と考えも浮かびます。印南さんは、それはまったく逆だと言っています。むしろ「ため込もうとしない読書」であるからこそ、「読書密度」が高くなり、その本についての「全体観」を持たなければならなくなるからです。
「読書密度」を高め「全体観」を持つために、重要な一文をA4用紙に手書きで「引用」をしながら読み、本1冊分の「ハイライト集」をつくることも提案しています(84ページ、ちなみにこの原稿も印南さんの本の「ハイライト集」をつくってから書いています!)。
そして次のような名言も書かれています。
・引用をすることによって、その本のどこに心動かされたのか、どんな文章が気になったのかが可視化される
・「じっくり読む」よりも、文を書き写したほうがその部分をしっかりと味わうことができますし、忘れづらくもなる(82ページ)
・「視点」を定めることによって、「重要なところ/そうでないところ」を区別する基準ができる(104ページ)
・本を気軽に開き、気軽に読みはじめられないのは、「その本を読むことによってなにを得たいか」がはっきり決まっていないから(130ページ)
まだまだありますが、このあたりにしましょう。いずれもこれまでの自分との「関連づけ」が読書にとってどれほど大切かということを伝えてくれます。そして、これらはいずれも「わかる」ための具体的な方法であり、取り組みでもあります。
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