2016年4月29日金曜日

「教える教科のプロとして、ナンセンスなことを見つける力・それをやめる〈減らす)勇気」

 前回のRWWW便りは、「子どもたちが読むことを好きになるための12の方法」でした。

 前回の「好きになるための12の方法」を読みながら、同じコインの裏側にあるのが、「先生自身が、読み手としてナンセンスだと思うことを、授業で行うのを少しずつでもやめる」ことではないかと思いました。

 ナンセンスなことをやめると、好きになるための12の方法から、適切なものを選んで入れていく時間もとりやすくなりますから一石二鳥?

 どの活動が、よりナンセンスなのかを考える基準としては、私は以下の2つを考えています。

(1)自分の生活の中で、自分が読んでいるときに、実際に行っていることを教えているのかどうか。

 自分が授業で行っている内容や活動を、教師自身の読書生活に照らし合わせて、それらを自分が実際に行っていて、助けになることなのか、実際にはまったく行わないことなのかを考えます。

 このことを考えていて、RWWW便りの「号外」2016年4月4日「新刊『算数・数学はアートだ!』紹介」を思い出しました。

 この本の中に音楽家が見た悪夢が書かれています。悪夢からさめた音楽家が、「どんな社会も、価値があって美しい芸術である音楽を、くだらない作業に落とし込むことはないだろう」(14ページ)と言います。こういう視点で、教室内の読むことに関わる活動を見直してみるのもいいのかもしれません。楽しくて夢中になれる「はずの」読書や国語を、もしかするとあまり意味のない作業に落とし込んでいないか、と考えてみると何か見えてくるかもしれません。
 
 他方、先生が実際に読むときに役に立つことを教えることで、小学校1年生の子どもでも、大人が楽しむようにブッククラブを楽しむこともできます。小学校1年生が、いきいきとブッククラブに取り組んでいる様子は、『読書がさらに楽しくなるブッククラブ-読書会より面白く、人とつながる学びの深さ』(新評論、2013年)の「小学校低学年のブッククラブ」(160~171ページ)でも、よくわかります。

(2)教室で行っている活動が、(教師が口に出さなくても)子どもたちにどんなメッセージを伝えているのかを考える。

 ある本(★)では、読むことの魅力や楽しさどころか、マイナスに思えるメッセージを、先生がいつのまにか子どもたちに伝えてしまっていると、21項目にもわたる例を挙げていました。

そこからいくつか挙げると、例えば以下です。

○「読書とは、重大で、骨の折れることである」
○「文学作品の読書は、退屈であるだけでなくて、さらに重大で、さらに骨の折れることである」
○「読書とは、一人の人、つまり先生に向かって行うパーフォーマンスである」
○「テキストの解釈は一つだけで、その一つの解釈とは先生の解釈(あるいは指導書に書かれている解釈)である」

 成績を出さないといけないから、教科書をカバーしないといけないから等々、従来型の授業を行う背景には、当然ながら、いろいろと理由があります。とはいえ、簡単ではないですが、教えている教科のプロとして、自分が教室内で行っていることを時折見直し、ナンセンスなことをやめる(減らす)努力をする人が増えてくるなかで、子どもたちに伝わるメッセージも変わってくる気がします。

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★ 上で紹介した「ある本」ですが、2015年グローバル・ティーチャー章を受章した Nancie Atwell著 In the Middle の第2版(Heinemann, 1998年)で、その21項目は、28-29ページに書かれています。 

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