2013年12月13日金曜日

『十代に何を読んだか』



これは、本のタイトルです。
タイトルにひかれて、図書館から借りてきました。
未来社から1985年に出た本です。
あまり売れなさそうな感じがしましたが、借りてきた本は第3刷ですから、悪くはなかったのかもしれません。でも、いま同じタイトルで出たら、どうでしょうか?

本のタイトルを(1)とすると、
関連して思いついた質問は、
(2)   十代に何を読まされたか?
(3)   十代に何を自分から進んで読んだか?
(4)   十代に自分から進んで読めるようにするには、どうしたらいいのか?
他にも質問が思いついた方は、ぜひ教えてください。
とても大切な気がするので。

私の回答は、以下のとおりです。
(1)(とても、悲しいことですが)タイトルが一つもあげられません!!
(2)たまたま高校時代をオーストラリアで過ごしたのですが、読まされた本は、『マクベス』と『セールスマンの死』と『蝿の王』と『キャッチャー・イン・ザ・ライ(ライ麦畑でつかまえて)』でした。時間をかけて授業でやった割には、ほとんど覚えていません。日本の小、中時代のは、一切覚えていません。(単に、記憶力が悪いだけ?)
(3)これも(1)と同じで、一冊もあげられません。
(4)私のような者にこそ(結構、多くいると思うのですが!)、この質問は大切なんじゃないかと思います。というか、私のような者の周りにいる先生や大人にとって。読書感想文的なものは、まったくダメでしたし、国語の授業も何の助けにもなりませんでした。

そういう極めて悲惨な十代を過ごしたのが、五十代になってリーディング・ワークショップを普及し始めようと思った大きな理由の一つです。従来の図書(読書)教育や国語教育では、すでに読める人は読む、読まない人は読まないままが続くだけだと思うので。でも、リーディング・ワークショップなら、驚異的に読む人は増えますし、読み方も驚くほど変わります。(そうした子どもたちの変化や、それを可能にする教師の変化について詳しくは、いま校正段階に入り来春には出版予定の『作家の時間』の読み版の『読書家の時間』新評論をご覧ください。)

以上は、本を開かずに、タイトルからのみ考えたことですが、以下のようなことをこの本の中で書いている人たちがいました。(ちなみに、この本は、タイトルになっている質問を22人の人にして、答えてもらったものを出版社が編集したものです。)


       <メルマガからの続き>


「『十代に何を読んだか』という設問は、的はずれのものではないだろうか。ことにわたくしのような、旧制高校出身の世代の者は誰でも、この質問には答えに窮するだろう。
 旧制高校は、十代の末頃が卒業の時期であったが、教養主義に浸されたこの過去の教育体制のもとでは、こんにちとはまるでちがって、高校生たちは古今東西の典籍を ~ むろん多くは翻訳によってだが ~ 読むことに熱中するのがふつうだったから、大げさにいえば、『十代に何を読まなかったか』と質問される方が適切なのである。(98ページ)」

私の頃(40~50年前)や、今とはまったく違う時代があったのです!! このあと、読んだ本の一部を書き出してくれているのですが、今では大学生ですら読まないだろうな~と思われるような本がずらって並んでいました。
しかし、この「十代に何を読まなかったか」という質問は、まったく思いつきませんでした。
ということは、読書に関して私たちは退歩していることが確実のようです。要するには、教養や知識がみごとなぐらいに低下しているわけです。これは、大きな問題?? それとも、気にする必要のないこと?

でも、一方で、以下のように書いてくれている人もいますから、救いではあります。

「どうやら私は、たいへん『おくて』の人間の様です。他の人が、十代で読む『青春の文学』に、中年になってから、感動しているのですから。けれども、それはそれで良いのだという気がします。
 本は、若いうちにたくさん読んでおきなさい、そうしないと、あとはもう読めないという人がありますが、私は必ずしも、その意見に賛成しません。もちろん、若い時の読書は大切ですが、本との出会いは、人それぞれという気がします。つまり、ある本に感動する年齢というのは、その人の性格や、人生体験に応じて、みんなちがっているのではないでしょうか。たとえば、老年になってから、『青春の文学』に出会い、心ゆさぶられるのも、すてきな事ではないかと思います。(18~19ページ)」

青春の文学とは言えないと思いますが、たとえば、私の『ギヴァー』との出会いのように? なんと、50歳を過ぎてからの出会いでしたから。

でも、それは、十代に読まなくてもいいということにはならないとも思います。

いったい、十代に何を、そしてどう読むのがいいのでしょうか?
      

4 件のコメント:

  1. 自分が十代だった頃を思い出してみると、といっても30年以上も前のことなので
    はっきりとは思い出せないのですが、shinlearnさんとは違い、学校での国語の授業は良く覚えています。楽しかったのです。現在私は、曲がりなりにも英語で生活の糧を得ていますが、中学・高校での英語の授業はまったく記憶がありません。でも、小学校も含めて国語は本当に楽しかった。だから、なにを読んだかといえば、教科書に載っていた作品と授業で配られたプリントに載っていた作品です。
    その中で特に記憶に残っているのは「山月記」「陰影礼賛」「こころ」「やわらかい個人主義」です。特に「山月記」と「陰影礼賛」はおおぅ!!と感動しました。山月記は今読んでも高尚な筆致でため息が出ます。
    今の高校生のようにひたすら設問に対して読んで答えるということは、ほとんどありませんでした。というかまったくなかったような・・・国語の先生は、作者の生き様とか作品当時の時流とか作品自体に込められた精神みたいなものを討論形式で授業をしていたような記憶があります。だから、当時私たち生徒からしたら、国語は、授業ではなく、楽しいおしゃべり、という感じの授業でした。古文の時間もしかり。恋愛や宮廷の様子に突っ込みを入れてくれたり爆笑してました。よって、古文の文法知識はほとんど覚えていません。でも、それでも大学受験ではそんなに困らなかったような気もします。

    で、shinlearnさんの、関連して思いついた質問なのですが、

    ・十代で読んだ本を読むきっかけは何か?

    私の場合は、上で書いたように、学校の授業が面白かったから、先生に薦められた本や十代らしく漫画・アニメも多読していたので、それがきっかけとなる場合も多かったです。
    演劇部に入っていたので、つかこうへいなども読まされました。

    (1)~(4)の質問に対する私の回答を書かせていただくと
    (1) 上記に書かせていただいた教科書に載っている作品全部(古典も含む)
       それ以外には、いわゆる名作といわれる作品や外国の作品とかも多かったです。 「車輪の下」「狭き門」「若きウィルテルの悩み」「路傍の石」「野菊の墓」とかは小中    学生用に優しく書かれたようなものがあったような気がします。
    それでもって、装丁が妙にかっこよかったので、それにつられて買ってもらって読んだ記憶があります。

    (2) 読まされたのは「古事記」と伝記でした。
    小学生の頃には伝記はすごく読まされました。小2のときに入院していて暇つぶしにと与えられたのが最初で、ナイチンゲールとヘレンケラーでした。
    「古事記」といっても、当時は「古事記」とは知らずに読んでいたと思います。蛇退治か、へぇ~、白兎、かわいそー、っていう感じです。

    (3) 進んで読んだのは、赤川次郎とか新井素子とか今でいうライトノベルが出だした頃なので友達と貸し借りして読みました。
       
    (4) これは、難しいですね。自分でも読書は好きなほうだと思います(でも、いわゆる「how toもの」というのは苦手です)。なぜか、といわれるとはっきりした答えが出ません。学校の先生に恵まれていたとも思いますし、両親も本に関しては糸目をつけず与えてくれました。ただ、上記で書いたことを総括すると、やはり、「楽しい思い出」に尽きるような気がします。

    小学生も含め、教科書に載せる作品の精選はとても重要だと思います。


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  2. とても貴重な体験の紹介、ありがとうございました。
    国語の先生がさぞ嬉しがると思います!!!
    私も、うらやましい限りです。(と同時に、自分がいかに小・中・高時代に、国語や読むこと(や書くこと)に対してねじれた関わりしかできなかったことを考えさせられます。もちろん、いまさらいくら考えたところで、取り戻せないのですが。でも2番目の人の引用にあるように、年齢に関係ないと自分に言い聞かせて、失われた10代、20代、30代を取り戻すのに頑張っています。とはいっても、相変わらずノンフィクションしか、ほとんど読めないという悲しい状況は続いています。)

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  3. 先のコメントの最後に
    「教科書に載せる作品の精選」と書きましたが、そもそも十代に読む作品を教科書に載せること自体、単純にページ数の関係からムリだろうなぁ、と書いてから気づきました。
    それでも、何かしらの感動や想いから広がる世界というのはあるもので、国語の教科書が果たす役割はそこに在るんだろうなぁ、と思いはじめました。
    多分、ほかの教科も。


    私も、本を読むことは年齢に関係ないと思います。
    児童文学は大人の方がはまるんではないでしょうか。
    私もそうです。若い頃は説教くさく思った灰谷健次郎さんや重松清さんも、30過ぎてから読んだほうが心に突き刺さりました。最近は森絵都さんの『カラフル』で何度も泣いてますから。個人的には『ギヴァー』と同様、『カラフル』も小学生高学年~中学生に絶対読んでほしい作品です!!

    同じ作品でも若い時に読んだ時の感想と10年以上経て読んだ時の感想が違ってくることはよくありますし。
    わたしは、読書も人生経験の一つだと考えています。
    若い頃ああしておけばよかった、ということがあるのと同じように、本も若い時に出会っていれば・・・、というものもあると思います。だからこそ、十代を遠く過ぎてしまった者からすると、なんとか十代の人たちにもっと本との出会いを増やしてほしいなぁ、と望まずにはいられないです。

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  4. 上のコメントを拝読して、『カラフル』を、さっそく図書館で予約しました。楽しみです。本をコメント欄でご紹介くださり、ありがとうございます。

    私は10代は、もっとも本を読んだ時期のように思います。本大好き!でしたから。ですから書評も好きでしたし、そこで進められた本を1冊読むと、同じ作家の本を続けて読むということがよくありました。

    次によく本を読んだ時期は、ここ数年です。これはRWとWWにかかわり始めて、小学校の先生たちからいろいろ紹介されたことがきっかけです。児童文学は子どものためだけではないのもよくわかりましたし、児童文学でのお気に入りの作家も増えてきました。

    本が読める(読む)ようになるためには、やはり本を紹介されることが必要だと思います。知らなければ知らないで、読まずに終わってしまうので。

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