ちょっと長くなりますが、レッスン6(=連載)の最終回です。
258 文章で一番大事なことは、最後まで読ませるということです。当たり前のようだけど、これがむずかしい。
259 文章の最低の資格は、最後まで読ませることである。
アリストテレスの『詩学』にならって、書き出し、半ば、結びについて考えて行きましょう。
・挨拶は不要である。いきなり用件に入れ
262 書き出しは、何よりも大事。そこでストップされちゃうから。
次は、少し高等技術です。書き出しを考えるときに、他の人ならどう書くかなあ、何の話から始めるかなあと考える。その上で、他の人がやりそうなものは全部捨てるんです。
嫌われないようにするためにはどうすればいいか。それは紋切り型をよすことです。で、その紋切り型の書き出しの最たるものが、さっきの挨拶なんです。
263 半ばのコツは、
・とにかく前へ前へ向かって着実に進むこと。逆戻りしないこと、休まないこと
→ 歌仙が参考に。
まず自分の書く中身を全部考えて、どうもこの枚数には、これじゃ足りないぞと思ったら、もう一度、考え直す。この内容で何枚書けるかということは、たくさん書くとわかってくるんです。ところが、この考え直すことをみんなしたがらないのね。
264 考える時間が短いから、書く時間が長くなるんです。たくさん考えれば、書く時間は短くてすむ。
・終わりの挨拶は書くな。パッと終れ。
全体に関わる心得を付け加えます。それは「書くに値する内容を持って書く」です。
265 書くに値する内容といっても、別に深刻、荘重、悲壮、天下国家を論じたり人生の哲理を論じたり、重大な事柄である必要はない。ごく軽い笑い話、愉快な話、冗談でもいい。重い軽いは別として、とにかく書くに値すること、人に語るに値すること、それをしっかりと持って書くことが大事なんですね。
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267 内容がないから言葉が出てこないという例があります。それが国語の教科書。
小学校1年の国語の教科書で最初に出てくる文章:
はるのはな/あおい あおい/はるの そら/うたえ うたえ/はるの うた
みんな/あつまれ/もりの なか
あおい うみ/みつけた/なみの おと/きこえた/みんな/はしれ
採択率の一位と二位なんですよ。
谷川俊太郎さんの批評:「作者がぜんぜんみえてこない」「無味乾燥といえばいいか、なんの表現にもなっていない」「学校に入って子どもたちが最初に出会う日本語がこんなチープな言葉でいいものか」と、憤慨している。
268 僕の言葉で言えば、言うべきことが何もない人たちが、言うべきことが何もなくて書いた文章がこれなんです。だから「チープな」日本語になるのは当たり前なんです。
谷川さんたちがつくった小学1年生用の教科書
ないたり ほえたり さえずったり
こえをだす いきものは、
たくさんいるね。
けれど ことばを
はなすことの できるのは、
ひとだけだ。
これが文章というものなんですね。言いたいことがあって、それを技術や学識、教養を身に備えた人が書いてる。しかし一番大事なのは、言いたいことがあるということです。小学校の1年生が、最初に教科書を開く。その幼い読者に向かって、筆者は何を伝えたいか。人間と言葉との関係について書きたい、言いたい、そういう思いがあるから、これだけの美しい言葉が出てくるわけです。
だから、言うべきことをわれわれは持たなければならない。言うべきことを持てば、言葉が湧き、文章が生れる。工夫と習練によっては、それが名文になるかもしれません。でも、名文にはならなくたっていい。とにかく内容のあることを書きましょう。
そのためには、考えること。そう思うんですよ。
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