2026年4月3日金曜日

すべては、問いからはじまる

好奇心にもとづく問いや生徒が自ら生み出す探究は、内容よりも好奇心を優先し、学びをより意味深いものにする。

https://note.com/coachingletter/m/ma24c24afc5bdの3月18日号および

https://projectbetterschool.blogspot.com/の3月22日号に続いての「好奇心」の第3弾です(それほど大切です! 日本の教育に決定的に欠落している要素ですから)。好奇心とコミュニティー、そして勇気を育てる学校づくりを大切にしている校長のティサ・モンゴメリー先生が書いていた記事を見つけたので紹介します。

 *****

好奇心がかすかにざわめくあの感じは、間違えようがない。それは、生徒たちが身を乗り出し、手を半分だけ上げ、目を輝かせているときに教室に満ちるエネルギーだ。義務だからではなく、本当に「もっと知りたい」と思っているからこそ生まれる空気。私がこのエネルギーを初めて体験したのは、リベラ先生の7年生(日本の中2)の理科の授業だった。先生は緑色で落ちたばかりの葉を2枚掲げて、こう尋ねた。「森でこれを見つけたら、何を知りたいと思いますか?」その問いは、まるで空気を震わせる電気のように教室に漂った。促されることもなく、私たちは次々に口を開いた。「同じ木から落ちたのかな?」「なんで葉脈が違うの?」「光の吸収の仕方も違うのかな?」その瞬間、学びが変わった。リベラ先生は内容から始めたのではない。問い(Wonderから始めたのだ。

 

なぜ好奇心が大切なのか

年月がたち、私が学校の校長になった今でも、あの瞬間は「好奇心こそが本物の学びの鼓動である」という確かな証として心に残っている。それは、ただ従うだけの学びと、主体的に関わる学びの違いであり、暗記で終わる学びと、理解に到達する学びの違いでもある。

好奇心は、姿勢であり、同時に仕組みでもある。それは脳の報酬系を動かし、発見を喜びや粘り強さ、創造性と結びつける。スーザン・エンジェルが『The Hungry Mind』(未邦訳)で述べているように、好奇心は深い学びと意味づくりを駆動する力だ。記憶を高め、思考を深め、学びを現実世界と結びつけ、意欲や学業成果を幅広い教科で押し上げる。

もし私たちが生徒にクリティカル★1かつ創造的に考えてほしいのであれば、生徒が立ち止まり、気づき、ふしぎに思う瞬間を招き入れるような条件をデザインしなければならない。リーダー★2として、私たちは「内容をこなす授業」から「好奇心を起点にする授業」へ、「知識を与える」から「生徒とともに知識をつくる」へとパラダイムを転換できる。好奇心にもとづく問いを活かし、生徒自身が生み出す探究を育てることで、教師は「思考が動き続ける教室」、そして「問いを立てることが最高の学びの行為として尊ばれる教室」をつくることができる。★3

 

好奇心にもとづく問いを活かす

好奇心にもとづく問いは、学習者が「知っていること」と「知りたいこと」のあいだにギャップを感じたときに生まれる。エミリー・ボードローの記事「A Curious Mind」は、エリザベス・ボナウィッツの研究を紹介しており、曖昧さが探究を引き起こし、学習者が明確さを求めて動き出す原動力になることをまとめている。教師は、この瞬間を活かして「説明より先に、まず問いをつくる」授業を設計できる。そのための方法として、次のようなものがある。

・問いを自然に引き出す現象、画像、物語などから授業を始める。

・「このパターンに気づいたよ。どういう意味だろう」など、教師自身が好奇心を声に出して示す。

・矛盾やパラドックスを提示し、ふしぎに思う気持ちを誘う。

・すぐに答えを与えず、好奇心が熟す時間をつくる。

・生徒の問いに授業の中で何度も戻り、学びの循環を閉じる。★4

 

ある小学校の教室で、教師は水の循環を導入するために、冷たいソーダ缶の表面にできた水滴を見せた。蒸発や凝結を定義する前に、こう尋ねた。「この水、どこから来たと思う?」生徒たちは、科学的なものから想像力あふれるものまで、さまざまな説を出し合って話した。教師が科学的な説明を明かす頃には、子どもたちはすっかりこの謎を解きたいという気持ちになっていた。これこそが好奇心の力だ。学びを「与えられるもの」ではなく、「発見するもの」に変えてしまう。

好奇心は、どの教科にも取り入れることができる。算数・数学なら「四捨五入がデータを誤解させることがあるのはなぜだろう」。歴史なら「同じ出来事でも、語る人によって記憶がどう変わるだろう」。こうした問いが、学習を“暗記”から探究へと変えていく。

次の授業では、途中で立ち止まり、「ちょっと気になることがあるんだけど、みんなはどう思う?」と投げかけてみてほしい。生徒が自由に答えられるようにし、たとえ見当違いに思える意見でも歓迎する。目標は正確さではなく、取り組みレベルの深さだ。するとすぐに、教室の注意の向き方やエネルギーが変わるのに気づくはずだ。

 

生徒が生み出す探究を育てる

生徒自身が生み出す探究は、主体性、創造性、そして学びへの当事者意識を育てる。ハムライン大学の研究によれば、生徒の問いづくりはメタ認知と協働を高めることが示されている。また、探究学習に関する研究でも、クリティカルな思考、学習への取り組みの度合い、理解の定着などが向上することが明らかになっている。生徒の探究を支えるための足場づくりとして、次のような方法がある。

Question Formulation Technique など、問いづくりの枠組みを教える★3。

・教室に Wonder Wall(問い/探究の壁) を設け、問いの変化や広がりを可視化する。

・問いを「事実」「分析」「創発(新しい問いを生む)」などに分類する。

・以前の問いに戻って見直し、洗練させる時間をつくる。

・生徒が自分の好奇心にもとづいて小さな探究(ミニ探究)を設計できるようにする。

 

ある中学校の社会科の授業では、生徒たちに「革命とは何か?」という問いに答えるよう求めた。最初は出来事や指導者の名前を挙げるだけだったが、探究が深まるにつれて、「暴力なしに革命は起こりうるのか?」「変化には好奇心がどんな役割を果たすのか?」といった問いが生まれ始めた。教師は指示するのではなく、導く役割に徹し、生徒の問いが授業の流れを形づくるようにした。その結果、学習基準を満たしながらも、生徒自身が自分の理解をつくる歴史家へと変わる単元になった★5。

 

リーダーにできること

好奇心は、それが育つように設計された生態系の中でこそ力を発揮する。リーダーは、その好奇心が根づく条件をつくる存在だ。私が校長として見てきたのは、大人たちが生徒に望むのと同じ好奇心を自ら示すと、学校全体がよりイノベーティブになるということだ★6。それは、会議の進め方、フィードバックの枠組み、探究をどう称賛するかといった日常のリーダーシップから始まる。好奇心の文化を育てるために、次のようなリーダーシップの行動が役立つ。

・職員会議は、連絡事項ではなく「問い」から始める。

Jirout らが提案するフレームワークhttps://www.curiosityinclassrooms.com/s-projects-basic を参考に、授業観察に好奇心の指標を加える。

・教師が自分の授業を探究し、改善の手がかりを見つけるための時間を意図的につくる。

・好奇心を引き出す授業に工夫して取り組む教師を積極的に紹介する。

・共通の問いを中心に、教師間の教科横断の協働を促す。

私の学校では「Wonder Week(驚き・探究の一週間)」を実施した。5日間、生徒と教職員が一つの大きな問い――「アイディアはどのように世界を変えるのか?」――を探究した。文学、STEM、アートなど、すべての教科がそれぞれの視点を持ち寄った。この経験は、学びの喜びを再び呼び起こし、好奇心は学びの妨げではなく、学びそのものだということを全員に思い出させてくれた。グローバル・オンライン・アカデミー(https://globalonlineacademy.org/insights/blog/2025-education-trends-and-predictions )も、現代の教育デザインが好奇心を未来の基盤となる生徒の重要なスキルとして位置づけていることを強調している。

 

問いを起点にリードする

好奇心は単なる方法ではない。それは姿勢だ――不確かさをチャンスとして見る心の構えだ。教師やリーダーがその姿勢を受け入れるとき、私たちは知的な謙虚さと、生涯にわたる学びの姿を示すことになる。ジョージ・ローウェンスタインの基礎研究(https://deepstash.com/idea/7969/the-information-gap )は、好奇心を生み出す火花として「情報のギャップ」を特定している。

問いを起点にリードするとは、トップダウンの指示を、開かれた対話へと置き換えることだ。「目標を達成したか?」ではなく、「この経験を通して私たちは生徒について何を学んでいるのか?」と問いかけることでもある。好奇心を中心に動く学校は混乱しているわけではない。そこは、学びが共有の営みとして生きている、ダイナミックな生態系だ。文化を好奇心が動かすとき、イノベーションは自然とついてくる。

 

出典: https://www.ascd.org/blogs/start-with-wonder

★1クリティカルは「批判的」と訳してしまうと、かなり大事な部分が失われてしまいます。それは、「何は大切かを見極め、何は大切ではないかも見極める」部分が!(さらに言えば、その判断に基づいた行動までもが含まれた言葉のような気がします。)

★2「教育のリーダー」としてという意味ですが、「一人ひとりの生徒を教える教師」としてでもおかしくないです!

★3これを実現するための方法を詳しく紹介している本が、『たった一つを変えるだけ』と『「おさるのジョージ」を教室で実現~好奇心を呼び起こせ!』ですので参照してください。なお、前者の中には国語の事例も紹介されています!

★4以上は、教師が授業でやれるアイディアでしたが、これと同じことを校長や学校のリーダーたちが様々な案件/問題等を扱うときにもやれたら、学校の可能性は何倍にも飛躍できると思いませんか? 下の「リーダーにできること」の節で、そのアイディアが紹介されています。

★5これこそが単に教科書をカバーして(テストの後には、そのほとんどを忘れてしまう)教え方ではなく、自立した学び手/思考し続ける探究者を育てる教え方! 『歴史をする』『だれもが科学者になれる!』等を参照ください。

★6「革新的になることだ」といわれても、ピンとこないと思います。イノベーションとは「新しくて、よりよい何かを創造する考え方」のことです。このテーマについて詳しくは、『教育のプロがすすめるイノベーション』を参照ください。

 

2026年3月27日金曜日

「5分後に〇〇な結末」で見える、「何にも縛られない書き方」と「構成的な書き方」



(写真は神奈川県山北町の大野山です。富士山がとても綺麗に見えるのでおすすめです)

 今年担当した6年生はもう卒業していきました。今日は雨。学校の桜が少しずつピンクに色づき始め、桜は見頃を迎えていますが、今日の雨で花は濡れていることでしょう。まだまだ咲いたばかりで、活力があります。きっとこの雨ではまだまだ散らないことでしょう。桜の花びらと卒業していった子どもたちが重なります。中学校でいいことも楽しいことも存分に吸い上げて、美しい花を咲かせてほしいと思っています。

5分後に〇〇な結末


 12月に作家の時間のユニットを開発しました。前期は「推し」をテーマに作家の時間のユニットを作りましたが、12月のテーマは「短編」です。手のひらに収まるような物語を紡ぎ、お互いに楽しめるような学習を作家の時間という枠組みを使って考えてみました。

「推しの魅力を伝えよう」についてはこちらから

「5分後に意外な結末」シリーズという本をご存じでしょうか? 小学校高学年から中学生に人気があり、学校の図書館には必ず入っている本だと思われます。コンセプトはタイトル通り、5分程度で読めるショート・ショートであることと、「意外な結末」という言葉がある通り、そのショート・ショートは読者の想定外の結末をねらう物語であるということです。もちろん、意外な結末の中身は決まっていませんので、感動したり、笑ったり、時には教訓めいたメッセージを受け取ることができる内容になっています。朝読書の人気ランキングで1位になったこともあるように、読書が好きな子どもだけでなく、読書が苦手な子にもすぐに読み終えられるということで、たくさんの子どもたちに読まれました。

「5分後に意外な結末」シリーズ

 このフォーマットを作家の時間に活用することはできないか? 結末まで展開の見通しを持って書き進める構成力、長過ぎて冗長にならない5分後と言う制限、さらに、自己満足ではなく読者の心情をイメージする相手意識、私がこれまで行ってきた作家の時間で子どもたちになかなか身につけられなかった力を、このフォーマットの助けを借りて育てられるのではないかと考えました。

ねらいは「構成」


 私の実践してきた作家の時間の作品を見ていて、一つの課題をもっていました。子どもたちは自分の創作の着地する場所を考えていないということです。つまり、簡単に言うと「終われない」ということになります。全ての子どもではないですが、物語の全体像をイメージしないまま、最初はすごい熱量で描き始めるものの、熱量が維持できずに尻つぼみになり、結末らしい展開に行きつかずに、安易に「つづく」としてしまうのです。

 「5分後に意外な結末」シリーズのフォーマットがあれば、物語の全体像をある程度イメージしながら、そして、読者にどのようなどのようなメッセージを受け取ってほしいのか、どのような読後感を提供したいのか意図を持ちながら、書くという活動を行うことができます。今回の学習のねらいは、まさに「構成」がポイントでした。

 ツールは、タブレットでアプリ「ロイロノート・スクール」を使って書いています。タブレット付属のキーボードを叩き、カードでページを構成していきます。手書きのイラストや画像なども入れることが可能です。提出もアプリ上の提出BOXで集約できますし、共有ノートを使っているので、自分の作品を他の友達に読んでもらうこともすぐにできます。共有ノート上でお互いの作品を読み合うので、紙に印刷をする必要はありませんでした。作家の時間の悩みの一つに、本の形にするのに時間がかかるという点がありますが、新しい形として試してみました。

 完成した短編の提出先として、6つの「島」を用意しました。
 まず、読者の感情に焦点を当てた「笑い」「驚き」「感動」です。短編を最後まで読み終えた時、この3つのどれかの感情が生まれることを、作家である子どもたちがねらって書きます。もちろん、感情はグラデーションなので、この3つのどれかに近い感情でも構いません。子どもたちが書きたがる「恐怖」という感情は、クラスの中で読み合える作品にならない可能性が高いので、除外しました。
 そして、「成長」「人とのつながり」「大切なもの」という島も作りました。こちらは、読者が読み終えた時に、筆者からこのテーマについてのメッセージを受け取れるような作品が集まった島です。こちらの島は、読者の感情に焦点を当てた最初の3つのテーマよりも、書き手側のメッセージに軸足をずらしたテーマになっていて、自分主体で作品作りを行える特色がありますが、着地点を定めて書くと言う意味では、どちらも見通しをもって書く必要があります。
 テーマが重複している場合もありましたが、どこに置くかを子どもが選ぶことで、相手意識や構成を意識した作品作りができる環境を作っていきました。

 さて、この計画で6学年全員である約100名が取り組みます。この計画がどのような実践になったかを振り返りたいと思います。



成果

成果① たくさん書く 短い文章でハードルは下がる


 作家の時間の特徴上、子どもたちはたくさん書きました。特に書き慣れている子どもたちは、すぐに書きたい構成を思いつき、自分らしい表現を追究するような姿が見られます。作家の時間のよさが発揮されたように思います。そして、「5分後」という制約があるので、作品は長編になることはありません。自分で読んでみて5分以内で読めるという緩やかな制限でしたが、1分でもいいという緩さがハードルを低くしたように思います。
 中には、「〇〇文庫」のように、10作品程度の自分の作品をひとまとめにして一つのカードにまとめる子どもも複数人いました。いろいろな構成や文体で描かれた作品群は、その子の本気を伝えるとともに、いろいろな自分の表現を試しているのだなあと感じました。まるで、役者が芝居の稽古をするように、イラストレーターが何度も何度も書き直すように、いろいろな自分の表現を形にしていました。すばらしい作品群でした。

成果② 作った文章は、子どもたちにも読みやすいものになる


 このような力のある子ども、書くことが趣味で創作の経験のある子どもは、ときとして非常に長い小説を書いてしまうことがあります。それは素晴らしいことなのですが、読み手である友達や教師が、長すぎて反応できなかったり、読み終えられなかったりすることがあります。また、終着点を見失い、さまよい続ける子どもが、終わらせることも続けることもできずに力尽きることもよくありました。今回は制限があったので、そのような子どもは少なく、納得がいかなくて頓挫しても、また書き直しをしやすいというメリットがありました。
 お互いに読むこともしやすい環境になりました。児童指導上、タブレット上でいつでも自由にファンレターを送り合うということはしませんでしたが、私の指導のもとファンレターを送り合う時間を設け、書きためておいたファンレターを送ることもできました。

成果③ 文章の長さではなく、構成や文体にこだわりをもつ


 ある程度長さに制限を加えたことが影響したのか、構成や文体にこだわって書く子どもが多かったように思います。最後に驚きの展開にするためには伏線を作っておかなければなりません。また、感動をつたえるためには、試練や逆境を越える展開が必要です。構成を意識した小説作りは、この点においてはしっかり成果を出したように思います。また、詩的な表現で書いたり、絵本のようにメルヘンチックに書いたり、文体にこだわりを感じた作品が多くありました。これは、単元の環境設定というよりも、6年生らしさという可能性もあると思います。

 6年生ですので、自分の作品が自分らしさであることを意識して取り組んでいます。計算問題や教師が目的を設定した単元では、自分らしさはないですが、作品となると、そこに自分の断片が否応なく表出されます。その点については、メリットでもありデメリットでもあるでしょう。子どもたちは自分が納得のいく作品作りに夢中になれる子がいる一方で、どのように自分を表現したら良いかわからずに、迷い続ける子どももいます。「子ども理解」や「子ども研究」を大切にしたいと思っている私としては、作品から子どもの好きなことや考えていることが分かるということは、とても大切です。作家の時間の醍醐味はそこにあると考えています。

「子ども理解」や「子ども研究」に関連するリンク





課題 ゴールを定めないで書くことの楽しさもある


 あとに続く実践者のために、この実践の課題も表しておきます。
 私は物語全体の構成を考える支援として、4コマ漫画型のワークシートを用意し、そこに起承転結のように文字やイラストなどで流れを整理できるような支援を行いました。しかし、律儀な子どもの中には、その4コマワークシートを埋めることができず、なかなか書くことに進むことができない子どもが一定数いました。
 反対にゴールを定めないで書き初めて、思いつくままに、自分の意識と無意識の中から立ち現れる文章をキータイピングや鉛筆の走るままに書き綴っていく書き方もあります。私の場合、この文章にしてもそうですが、最初に大雑把な構成は考えるものの、書いているうちに思考が深まったり、より書きたいことが立ち現れたりして、結果的に最初の構成とは大きく異なる文章ができあがります。構成を明確に決める書き方とは違い、自分の「声」のまま言葉を表出して文章を形作っていく、書くことへの向かい方の一つです。ここでは、「何にも縛られない書き方」と名前をつけたいと思います。
 子どもたち、特に学齢が幼い子どもたちの作家の時間の取り組み方を観察してみると、結末を考えて書くよりも、書きながら頭の中で主人公が動き始めて、それを文字にしながらどんどん展開もすすんでいき、そして、自分の好きなように結末を迎えるような書き方をしている子どもをよく見ます。一方で、全体を俯瞰しながら、目的に向かって書き進めるという書き方は、メタ認知や相手意識など中学年以降に獲得していく思考方法で、おそらく学齢が上がってからできるようになっていく書き方なのかもしれません。
 そのような思考方法に慣れていない子どもたちは、4コマワークシートの段階で止まってしまいます。その状態が、作家の時間で大切にしている「書くことを楽しむ」というスタンスに干渉してしまっているように感じました。のびのびと白い画用紙に絵を描くように、綺麗な砂場で遊ぶように、作家の時間に取り組んでほしい。そう思って、そのような子には、4コマワークシートを手放して、「まずは自由に書いてみよう!」と声をかけました。今回の構成というねらいに向かう支援を手放してしまったと言えば、そうなってしまうのですが、最も大切にしたい「書くことが楽しい」ということを保証するためには、この方法がもっとも適切だったように思います。

何も縛られることなく書くことのできる学習環境が学校にはあるか?


 日常の学校の学習では、教師やクラス全体が設定した目的に合わせてジャンルや文種、フォーマットや表現などがある程度既定されています。様々な目的や条件に合わせて、いろいろな言葉の使い方ができるということは、学校教育で必ず経験させておきたい技能であると私も思います。けれども、今回思ったことの一つに、本当に自分のために文章を書くという経験を持っている子が、本当に少ないなあという感覚です。そういう私も、小学校の頃の苦手教科は国語だったので、自分が書きたい文章を書くという活動を経験した記憶はありません。書くことが楽しかったという思い出も、もちろんありません。今の子どもたちも、おそらくは同じ状況でしょう。
 そんな中で、構成力は大切ではありますが、そこに焦点を当てて単元を作るという学習は、全体の中の一部であっていいと思います。そして、必ず自由に書くことの楽しさを味わえるような学習をしっかり用意してあげるべきです。つまり、年間のカリキュラムの中で、構成的なライティングと同じ程度に、ゴールを定めない書き方をねらった学習を位置付けて、書くことの楽しさを存分に享受するべきなのではないかと思います。
 今回の6年生全体の作家の時間の中で、ユニットを組めたのは前期と後期に1回ずつ、2回だけでした。前期は「推しの魅力を伝えよう」、後期はこの「5分後に〇〇の結末」です。構成力に焦点を当てた今回のユニットのねらいが、適切であったかどうかはもう一度考え直して良いと思います。

学校の中で書くことへの安全地帯を作ることの難しさ


 今回「5分後に〇〇の結末」の単元を実践することによって、「何にも縛られない書き方」の価値について再考することになりました。学校の中で、本当に自由に書くことを味わえる時間というのは、それほど多くありません。たとえば、日記を書いたり、学習の振り返りを書いたり、それはその建て付けは「何にも縛られない書き方」に近い状況ではあると思いますが、どうしてもそれは教師に読まれることを前提に書かなければならない状況であったり、教師に評価されるかもしれないことを想定して書く必要があったりと、「何にも縛られない書き方」をしてみようという学習の枠組みではありません。
 「先生に『読んで』と提出されたもの以外は読まないよ。」とか「振り返りの内容は成績には入らないよ」とか、子どもたちが本当に書くことが自分の成長に資する活動であることを実感するためには、子どもたちの安全地帯をもっともっと学校の中で広げてあげる必要があります。何を書いてもいいと言うと人権的に問題があったり、卑猥な内容を書く子どもも確実にいるので、そのような安全地帯を広げる学習活動を設定することは簡単なことではないでしょう。それでも、「何にも縛られない書き方」の価値を信じて取り組むことには、新しい自分との出会い、深く自分を知ること、言葉の獲得、内省を深めることなど、大きなメリットも多くあると思います。この活動で成績は絶対につけることはできませんが、子どもたちの心がもっと豊かになる可能性を秘めているように思います。




自分のために表現する時間


 誰のためでもなく、自分のために表現するという活動は、小学校入学前には当然のように行われてきたはずです。昨今の教育事情を鑑みるとそうとも言えない状況になっているかもしれませんが、未就学の子どもがのびのびと自由に書く様子は、私もたびたび目にして、その度に心を動かされてきました。子どもたちを社会的要請に基づいて、自分ではない相手や社会のために、表現することを軽視すべきではないと思います。その視点で子どもを育てることが学校の役目であることも否定はしません。しかしそれ一辺倒では、自分を見失ってしまう子どももいるのではないでしょうか? 心を病んでしまう子どもたちの増加は止まるところを知りません。自分を大切にするための学習は、学校の中でもう少しあっても良いように思います。
 本当に自分のために書く、表現するという活動は、数字にはならない大きな価値があります。そこにしっかり時間をかけられるくらい、余裕のある学校であったらいいなと思います。

2026年3月21日土曜日

ずっと残りつづける何か

   俳人・小津夜景さんの40編の文章からなる『ロゴスと巻貝』(アノニマ・スタジオ、2023年)を読みました。「読書というもの」という文章から始まります。もちろん、著者の小津さんがその折々に読んだ本がきっかけになって書かれているのですが、関連づけが幅広い。書評集なのかと思って読み始めたのですが、読者である私の、本と自分とこの世界とのつながりを考えていくことになりました。

 冒頭の「読書というもの」には「いまわたしが抱いているのは、これまで自分の心を照らしてくれたさまざまな本への感謝と、自分もまた誰かの胸に灯りをともせたらというだいそれた願いだ」という言葉のあとに、ヘルマン・ヘッセの「書物」という詩が引かれています。ヘッセの詩の第一連は「この世のどんな書物も/きみに幸せをもたらしてはくれない。/だが それはきみにひそかに/きみ自身に立ち返ることを教えてくれる」(岡田朝雄訳)と始まります。本を読むことが「ひそかに」「自身に立ち返る」手がかりになる。これは小津さんのこの本が読者の私に伝えてくれたことでもあります。
 読書が重要なのは、本や文章の言葉を読むことによって新たな知識や情報を獲得するということよりも、むしろ読む過程で頭のなかに刻みつけた言葉から自己内の対話が導かれ、読者が他ならぬ自分自身に「立ち返る」ことになるからなのです。ヘッセの詩の引用は、そういった小津さん自身の書物観・読書観を示していると考え、共感を覚えました。実際、そのように「自身に立ち返る」きっかけになった本や文章こそ、記憶に残るものとなり、自己の一部になってきました。つまり、本や文章を「理解」しながら、同時に自分自身について何事かを「理解」したということにもなります。
 以前にも引用したことのあるものですが、『理解するってどういうこと?』の第9章にはエリンさんの次のような言葉があります。

「私は知識を得るために読みます。あるいは、さまざまな登場人物を通して、自分の感情を経験するために読みます。いずれの場合であっても、読むことや学ぶことが、ずっと残り続ける何かに導いてくれるということを知っています。それは自分自身について発見することだったり、読んでいなければ消えてしまったであろう細部が記憶にとどまる、ということです。感情と記憶は切り離せないのです。」(『理解するってどういうこと?』339ページ)

 小津さんの『ロゴスと巻貝』に収められた文章の一つひとつも「読むこと」が「ずっと残り続ける何かに導いてくれる」ということを教えてくれます。その中程にある「戦争と平和がもたらすもの」には、1990年8月に始まった「湾岸戦争」に際して「戦争の目で言葉/文学は無力か」という議論に対して、高校生だった小津さんの考えたことが書かれています。

「わたしも湾岸戦争の映像を見ながら考えてみたけれど、納得のいく回答が浮かばない。そんなとき、人間の言葉と思想の力は戦争のなかに生まれ平和のなかに死んでゆく、というラスキンの言葉を読み、その直感的洞察に自分が立ち返るべき地平を見たような気がして、もしかすると「言葉/文学は無力か」をこのタイミングで自省してみせる態度の裏には、世界を遠巻きにながめる特権階級的な傲慢さがひそんでいるのかもしれない、と我に返った。
 言葉や文学が無力であるわけがない。だってそれは種を蒔いたり、苗を植えたりすることと同じ種類の、生命をはぐくむ営みなのだから。むしろ戦争が起こっているいまこそ、蒔かないといけないし、植えないといけないし、育てないといけない。たとえ嘲笑され、批判されたとしても。蒔いても刈られ、実を結び見込みがないからといって、種を蒔かない者がいるだろうか。平和ばかりでない。いかなる概念も勝手に空から降ってきて実を結ぶようなことは起こらない。それを成立させるためには、人間の意思でもって種を蒔いて育てるよりほかはないのだ。そんなふうに高校生のわたしは思った。そしていまでもまったく同じように思っている。」(『ロゴスと巻貝』114~115ページ)

 「ラスキン」は19世紀英国の社会思想家ジョン・ラスキンのこと。私はこのくだりを読みながら、ああこれは人がなぜ書くのか、なぜ読むのかということを考え、掘り下げてくださった文章であると感銘を覚えました。読むことも書くこともが私たち「生命をはぐくむ営み」なのです。日々の営みのなかでそれを絶やさずに続けていくことの他に、ラスキンの言う「人間の言葉と思想の力」を生む道はないのです。
 最後にもう一つ私の心に響いた小津さんの言葉を引きます。

「忘れないようにしよう。意味にこだわる大人の読書もいいけれど、意味なんて気にせず、ただその影ばかりが心に流れていく感覚の読書も最高だってことを。むしろやすやすと意味に安住することのなかったあのころこそ、言葉をあるがままに受け止めていたってことを。」(『ロゴスと巻貝』48ページ)

 小津さんの言葉はエリンさんの言う「ずっと残り続ける何か」がどのように生み出されるのかということを私に教えてくれました。

2026年3月13日金曜日

ブッククラブ運営のコツと手順

  前回のブッククラブについての記事(https://wwletter.blogspot.com/2026/03/blog-post.html)を書いたあと、しばらく私は興奮が冷めませんでした★0。子どもたちが読書の楽しさを発見していく姿を思い出し、その記憶に浸っていました。教師として、本当に幸せな日々でした。でも同時に、その「良い日々」の前にあった時間も思い出したのです。生徒たちがブッククラブで深い話し合いができるようになるまで、5か月間トレーニングを続けたあの日々。思い通りにいかなくてイライラしたこと、焦り、「この子たちは本当にできるようになるんだろうか」と不安になったこと。あれは、正直つらい日々でした。

私の投稿に寄せられたレベッカ・アルバー先生のコメントは、まさにその気持ちを代弁してくれていました。彼女は教師たちにこうアドバイスしています。「あきらめないで。」本当に、その通りです。

もう一度強調しておきたいのですが──最初の6年生(日本の中1に相当)のクラスをブッククラブに参加できるように育てるまでに、5か月かかりました。そして、その成功はまさにこの準備期間のおかげだったと、私は確信しています。(教師としての私の信念のひとつ:準備しすぎ、ということは絶対にない。)★1

 

土台づくり

では、その5か月間に何をしていたのでしょうか。私は、生徒たちのスキル、態度、人間関係に細心の注意を払いながら、ゆっくりと、慎重にこの仕組みへと導いていきました。そして、弱い部分があれば何度も立ち返って教え直し、補強しながら、少しずつ手を離していきました。そのときに取り組んだことの一部を紹介します。

1. まず、生徒たちに「読むことの意味」を考え、語らせることから始めた。

多くの生徒は学年相応のレベルよりずっと低い読みの力で、小学校時代にすでに読書から遠ざかってしまっていました。また、「読書をする人=自分とは違うタイプの人」というイメージをもち始めている子もいました。まずは、彼らを読書に引き込む必要があったのです。そこで私はこう問いかけました。「なぜ読むの?」すると、生徒たちは100個以上の理由を挙げてくれました。そのリストは一年中教室に掲示され、何度も話し合いのきっかけになりました。★2

2. 私自身が「読み手であること」を、生徒たちに日常的に語った。

私は、生徒たちにいつも「自分にとって読むとはどういうことか」を話していました。いつ読んでいるのか、どこで読んでいるのか、ブッククラブでどんな話をしているのか、週末に古本屋をどうやって巡っているのか──そんなことを、折に触れて共有しました。読んでいる本の一節を読み聞かせることもありました。意図的に、読書の楽しさや、気分転換になること、問題解決や人生の困難に向き合う助けになること、そして読書からどんな学びを得ているのかを伝え続けたのです。

3. 生徒たちと似た背景やルーツを持つ著名人の文章を紹介した。

また、読書が人生をどう変えたかについて書かれた記事やエッセイを、生徒たちに紹介しました。それらは、生徒たちと同じような背景や民族性を持つ作家や著名人によるものでした。Malcolm XLuis RodriguezOprah Winfrey★3 をはじめ、多くの人々が「文学が自分の人生をどう変えたか」を語っています。そうした文章は、生徒たちにとって強い共感と励ましになりました。

 4. 生徒たちと似た背景やルーツを持つ著名人の文章を紹介した。

また、読書が人生をどう変えたかについて書かれた記事やエッセイを、生徒たちに紹介しました。それらは、生徒たちと同じような背景や民族性を持つ作家や著名人によるものでした。Malcolm XLuis RodriguezOprah Winfreyをはじめ、多くの人々が「文学が自分の人生をどう変えたか」を語っています。そうした文章は、生徒たちにとって強い共感と励ましになりました。

 

立ち上げのプロセス

ここまで読んで、イメージがつかめてきたでしょうか。読書の楽しさや読解スキルの育成にたどり着くためには、まず子どもたちの読みたい気持ちを広げる土台づくりが必要でした。私は、生徒たちがこのチャレンジングな活動に前向きに取り組めるよう、時間をかけて働きかけ続けました。同時に、必要なスキルも教えていきました。

1. 毎日読み聞かせをし、子どもたちが話す時間をつくった。

私は毎日読み聞かせをしました。(絵本が大好きなのは、短くても意味がぎゅっと詰まっていて、話し合いにぴったりだからです。)

読み聞かせのあとには、子どもたちが自由に話せる時間を設けました。その際、私は次のような力を引き出すための質問を工夫しました★4。

  • 自分の経験と結びつけて考える
  • 行間を読み取る
  • 先の展開を予想する
  • 言葉づかいや表現に注意を向ける

ブッククラブでは、子どもたち自身が問いをつくる名人になることがとても大切です。そのための土台を、日々の読み聞かせの中で育てていきました。

 私は、ペアで話し合う活動のときにも、生徒たちにフィードバックをしていました。話している様子をそばで聞きながら、その場で具体的に「どうやって相手と対話を深めるか」について指示を出したのです。

2. 私が求めるスキルを、何度も見せて教えた。

私は、生徒たちに求めるスキルを、繰り返し自分でモデルとして示しました。誰かの発言にどう応じるか、テキストから根拠を見つけて共有する方法、相手に敬意を払って異なる意見を述べる方法──こうしたことを、実際にやって見せたのです。ときには、生徒の一人と私がペアになって、会話そのものをモデルとして見せることもありました。また、言い出し方(センテンス・スターター)や会話の枠組みを掲示し、いつでも参照できるようにしました。モデルを示すことは欠かせません。(これは、どんなスキルを教えるときにも当てはまります。)

生徒自身にも「よい話し合い」をモデルとして示してもらいました。ブッククラブが始まってからも、私は定期的に──ときにはその場の判断で──素晴らしい話し合いをしているグループのまわりにクラス全体でフィッシュボウルをつくるようにしました。みんなでその会話を見て、聞いて、「なぜこの話し合いはよかったのか」を一緒に振り返る時間をつくったのです。子どもたちは、私たちが望む姿を目で見て理解する必要があるのです。

3. 読書や話し合いの指導と並行して、コミュニティーづくりや対立解消の活動も行った。

ブッククラブが「安心して挑戦できる場」になるためには、生徒同士の関係づくりが欠かせません。そこで私は、クラスのつながりを育てる活動や、意見のぶつかり合いを解決する練習を継続的に行いました。人間関係の土台があってこそ、子どもたちはリスクを取って発言できるようになるのです。

4. その一方で、この年齢向けの小説を片っ端から読み、クラス用の図書コーナーを充実させた。

私は、この年代の子ども向けの小説を読めるだけ読みました。そして、生徒たちにとって手に取りやすく、興味をもてる本を集めて、小さな図書館をつくりました。ブッククラブで本を選ぶ段階になったとき、自分が提示する本に100%自信をもてることが必要だったからです。同時に、生徒たちの読者としての姿──どんなジャンルが好きなのか、読みのレベルはどれくらいなのか──をしっかり把握しておく必要もありました。

5. 4か月ほど経ったところで、4人グループをつくり、クラス全員で同じとびきり面白い小説を読んだ。

毎日、私は短いミニ・レッスンを行い、ブッククラブの重要な要素をモデルとして示しました。たとえば、

  • 話し合いをどう始めるか
  • ファシリテーターの役割とは何か
  • 誰かが参加していないとき、どう対応するか

そのうえで、生徒たちをグループに送り出しました。とにかく、たくさん、たくさん、たくさんのガイド付きの練習★5を重ねました。

 

そして最後の1か月間、私はブッククラブの魅力を全力で語り続けた。

この方法を身につけたらどんなに楽しいか、どれだけ自由に読めるようになるか、どんなワクワクが待っているか──私は毎日のように話し、生徒たちをその気にさせました。誘惑し、惹きつけ、ワクワクさせる。そんな1か月でした。

 

いよいよスタート

そして1月(日本では、9月に相当)の終わり、ついに最初のブッククラブを始めました。もちろん、ところどころうまくいかない場面もありましたが、全体としてはとても良いスタートでした。子どもたちは一緒に読むことにワクワクしていて、この方法をもっと良くしていこうという意欲も見せてくれました。

 ブッククラブについては、まだまだ語りたいことがたくさんあります。これまで、どうやって子どもたちをブッククラブに導いたか、そしてなぜ誰もが試す価値があるのかをお話ししてきましたが、まだ伝えきれていないエピソードがたくさんあります。★6 その間に、読者のみなさんにもぜひ教えてほしいのです。
生徒たちをブッククラブに慣れさせるために、どんな工夫をしましたか?
どんな課題がありましたか?
うまくいかなかった場面を、どう乗り越えましたか?

 

出典: https://www.edutopia.org/blog/literature-circles-setting-up-getting-started-elena-aguilar

★0ここでの「私」は、『教師のためのアート・オブ・コーチング』の著者のエリーナ・アギラーさんです。彼女は2000年以降ぐらいはコーチングに注力していますが、その前はこの記事から分かるようにブッククラブを含めたリーディング・ワークショップやライティング・ワークショップ、そして探究学習などに力を注いでいたことが分かります。繰り返しますが、生徒対象にこれらの実践をすることと、教師対象にコーチングをすることは根源の部分で同じと言えます。(それが、日本の教員研修がまったくと言っていいほど機能しない理由でもあります!)

★1皆さんは、この段落を読まれてどのような感想をもたれましたか? 「暢気な取り組みをしているな~!?」「準備に5か月もかけられて羨ましい!」 そもそも、教師(ないし、教科書)が計画した単元案や授業案(指導案)通りに授業が進むことなんてあるのでしょうか? それは、たとえ進んだとしてもあくまでも計画をこなせただけで、生徒たちが身につく形で学んでいるか否かはまったくの別物なのでは。後者の場合の多くは、学べていない責任を生徒たちに押し付ける形で・・・ いずれにしても、教師対象の研修にしても、生徒対象の授業にしても、サイクルを回し続けることが鍵です!(記事|noteを参照)

★2これと同じ問い「そもそも、なぜ読むの?」に対する8人の小学校教師の回答が『「読む力」はこうしてつける』の41~3ページで紹介しています。また、「読むことが可能にしてくれることは?」「読むことを通じて身につけさせたいことは?」「あなたにとって『読む』とは?」の3つの問いにも、この本の第1章で答えています。

★3自分のテレビ番組で、ブッククラブをしたり、たくさんの本を紹介していました。

★4ここで扱っているのは、優れた読み手たちが使っている読む際に使っている方法で、『「読む力」はこうしてつける』でそれらについて詳しく紹介されています。

★5少人数の生徒に対して教師がガイドする指導については、『読書家の時間』の初版の第6章、および『「学びの責任」は誰にあるのか』の第3章をご覧ください。これができるようになると、教え方の幅が広がりますし、生徒も身につける形で学べるようになります。

★6ブッククラブの魅力については、『読書がさらに楽しくなるブッククラブ』を参照ください。小学1年生でも楽しく取り組めている事例を紹介されています! また、このブログでも過去に何回もブッククラブについては紹介していますので、左上に「ブッククラブ」を入力して検索してみてください。