2018年10月27日土曜日

読むプロセスも混沌としている ~そのプロセスでできることを教える

 2018年10月6日のWW/RW便り「作品の読み直し/書き直しをしない子どもたちへの対応」の中で、「書くプロセスは混沌としていること、その中で書き手ができるいろいろなことを教えるために、教師によるデモンストレーションが効果的な一つの方法★であること」に触れました。

 今回は、書くプロセスと同様に、読むプロセスも混沌としていることにについて考えます。

  あるテキストを理解していくプロセスは、一直線には進みません。立ち止まったり、考えたり、読み直したりします。また、背景、参照されていること、言葉の意味、作者について調べることもあります。

 でも教師が、この「プロセス」を生徒に見せることは意外に少なく、自分が苦労して得た理解という、教材研究の「プロダクト」(だけ)を、整然と提示して終わることが多いのではないでしょうか?

  時には、「プロダクト」に行きつくためには「混沌としたプロセスがあり、そこで具体的にできることがある」と示すことも有益だと思います。そこで、ミニ・レッスンでできそうなことを考えてみました。

1.ある程度、焦点を絞った「考え聞かせ」を行う。

 実際にどうやって読んでいるのか、教師が考えていることを口に出しながら読む「考え聞かせ」で、生徒に示します。優れた読み手が使っている効果的な読み方を見せたり、「新聞記事の読み方」「論説文へのアプローチ」等、ジャンルによって読み方が変わることを示すときにも便利です。

 
 「考え聞かせで読み手のしていることを体験する」(30~31ページ)や、「考え聞かせを使って教えるミニ・レッスン」(76~77ページ)という実践例が、『読書家の時間』(新評論、2014年)に載っています。小学校1年生の教室の実践例ですから、低学年でも十分に、読むプロセスでできることを、考え聞かせを使って教えられるのがわかります。

 
(「考え聞かせ」は、「混沌とした読むプロセスでできること」を教える以外にも、例えば、選書のときには、「題名を見て、裏を見て、中をパラパラっとみて、著者名を見ながら、その中で、思っていることを口に出す」等、使える場面は多いです。)

2.読むことの「プロダクト」をつくりだす「プロセス」で行うことを、複合的に、デモンストレーションで見せる。

 あるテキストをしっかり理解したいと思っている大人(教師)が、そのプロセスで何をしているのかを生徒に見せるのが目標です。

 デモンストレーションなので、普段のミニ・レッスンよりは時間がかかってしまうかもしれません。でも、教師だって、「自分が理解するために、数度読み直し、テキストを行ったり来たりしながら、調べたり考えたりする」★★ことをはっきり示すことができます。

 ・ そのテキストを何枚かコピーしておき、最初の理解、次の理解、さらに次にこれを調べて、など、 書き込みを増やしていく形で、教師が行ったこととその結果を、段階別に(あらかじめ)準備しておいてもいいかもしれません。

 ・ 読む時間中に生徒からでてきた質問を2,3集めておいて、「こういう問題を教師がどうやって解決するか」を見せるという方法もあります。学年によっては、インターネットの画面が教室に提示できるのであれば、言葉の意味や背景、時には画像検索等、教師がお薦めの、調べる方法のレパートリーも、併せて教えることができます。

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★ 2018年10月6日のWW/RW便りでも紹介しましたが、日本の教室での、書くことのデモンストレーションの実践例は、あすこまさんのブログ「改めて感じる、教師のデモンストレーションの手応え」で、ぜひどうぞ!https://askoma.info/2018/10/06/6934。

★★
「自分が理解するために、数度読み直し、テキストを行ったり来たりしながら、調べたり考えたりする」ことを示すためのテキストですが、その一つの選択肢として、「詩」はいかがでしょうか? 短い詩であれば短時間で紹介できますし、通常、詩は、数度読み直しながら味わうことが多いのではないでしょうか? 私自身、以前は「詩」は遠い存在でしたが、RWやWWを学ぶなかで、もっと理解したい・知りたいと思うジャンルになりつつあります。

 【参考情報】
 今回のトピックから少し離れますが、「詩」については、ナンシー・アトウェル著の『イン・ザ・ミドル』で、毎回のワークショップの最初の10分を使って「今日の詩」を読んでいることが紹介されています。この時間は年間を通して行われます。 
 「今日の詩」は、教師がしっかり理解した詩を、教師が音読し、子どもたちを詩の世界に招くところからスタートします。ですから、「教師がその詩を理解するプロセスを見せるミニ・レッスン」の時間ではありません。しかし、それぞれの生徒たちの話し合いを通して、詩にどうやってアプローチし、理解し、自分のものにしていくのかを学ぶ時間になっています。また、書き手として学ぶべき多くのことも同時に学んでおり、書くこと・読むことの両方を学び、クラスで共有できる言葉を培う土台にもなっています。
 「今日の詩」のセクションを読むたびに、「すごい10分の使い方!」と思います。同時に、詩も含めて短時間で提示できる秀逸なテキストを、私自身もっと知りたいと思わされます。
 詳しくは『イン・ザ・ミドル』(三省堂、2018年)の「今日の詩」のセクション(112~117ページ)をご覧ください。
 「今日の詩」については、いつか日を改めて、RW/WW便りで紹介できればと思っています。

2018年10月20日土曜日

「知の錯覚」から抜け出す道


 『理解するってどういうこと?』は、共訳者の吉田さんとメールで何度もやりとりしながら訳した本です。自分一人でも一応の訳文はつくり、何度も推敲したつもりだったのですが、それと比較すると、出版した本の訳文の方がわかりやすいのです。これは、吉田さんの提案する訳がわかりやすかったということを言いたいわけではありません(それはそれで、実際そのとおりなのですが)。この本の「訳者あとがき」にも書いたように、お互いの訳文を検討し合うことで、思考を重ねた訳文が生み出されたということなのです。知っているつもりでいたことが、じつは何も知っていなかったという事実に、自分が気づかされて頭をフル回転しなければならなくなったということなのです。

 insightという英単語の訳を考えるために、英和辞典を引き、一般的な「洞察」という訳語を宛ててそれで満足していたわたくしは、実のところ、insightという語を著者が「なぜ」使ったかということを考えていませんでした。「この「洞察」ってどういうことなのでしょう?」と問われて慌てるわけです。前後の文を読み、著者が何を伝えようとしているのかということを考えた末に、そこでのinsightは「じっくり考えて何かを発見すること」だと気づいたのです。実際にそういうふうな訳語を使ってみると、著者の言いたいことが自分にもよくわかってくるのです。

スティーヴン・スローマン&フィリップ・ファーンバーグ(土方奈美訳)『知ってるつもり:無知の科学』(早川書房、2018)は、こうしたことを科学の全般にわたって考察した本でした。たとえば、少し勉強していろいろな知識を蓄えた時に、次のようなことに陥ってはいないでしょうか。



物事の仕組みに対する自らの知識を過大評価し、本当は知らないくせに物事の仕組みを理解していると思い込んで生活することで、世界の複雑さを無視しているのである。実際にはそうでないにもかかわらず、自分には何が起きているかわかっている、自分の意見は知識に裏づけられた正当なものであり、行動は正当な信念に依拠したものであると自らに言い聞かせる。複雑さを認識できないがゆえに、それに耐えることができるのだ。(46-47ページ)



この事態をスローマンたちは「知識の錯覚」と呼びます。そして、わたくしたちはときに「探求をやめる決断をしたことに無自覚であるために、物事の仕組みを実際より深く理解していると錯覚するのだ」と言います。

ではどのようにして「知識の錯覚」から抜け出すができるのか。その一つの策は「熟慮」することだとスローマンらは言います。



熟慮の一つのやり方は、他者と話すように、自分自身と語り合うことだ。熟慮はあなたを他者と結びつける。集団は一緒に直観を生み出すことはできないが、ともに熟慮することはできる。(94ページ)



かれらはこれを「コミュニティとしての思考」と呼んでいます。「コミュニティとしての思考」――とても魅力的な概念です。「知識の錯覚」を避けていくためにはとても重要な概念です。そうした「錯覚」から抜け出す道を、スローマンらは次のように言っています。



 本物の教育には、自分には知らないことが(たくさん)あると知ることも含まれている。持っている知識だけでなく、持っていない知識に目を向ける方法を身につけるのだ。そのためには思いあがりを捨てなければならない。知らないことは知らないと、認める必要がある。何を知らないかを知るというのは、自分の知識の限界を知り、その先に何があるかを考えてみることにほかならない。それは「なぜ?」と自問することだ。(238-9ページ)



 スローマンとファーンバーグが論じたのは、平たく言えば「無知の知」です。つまり「わかっていない」立場で物事に取り組むということの重要性です。そのために、他者の考えを理解しようとしながら(自らの考えだけでは完全ではないことを認識しつつ)、協働することを重んじているのです。そうすることで「他者と話すように、自分自身と語り合う」思考が可能になるのではないでしょうか。これは、『理解するってどういうこと?』の共訳の過程でinsightという語の訳語を考え出したときのわたくしの思考と似ています(だからといってすべてわかったとは思いませんが)。

 

2018年10月12日金曜日

「対話読み聞かせ」をしました



対象は、小学3年生です。(このやり方なら、中学や高校でも使えるはず!!)
対話読み聞かせでは、読み聞かせをしながら子どもたちの対話を促していきます。
本について語ることで、本について考えることができるようにします。

今回、対話読み聞かせに選んだ本は、
『名前のない人』(クリス・ヴァン・オールズバーグ 著 村上春樹 訳)です。

お百姓のベイリーさんがトラックではねてしまったのは、鹿ではなく人間でした。
ベイリーさんは自分がトラックではねてしまった男を家に連れて帰ります。
不思議な服を着て、口がきけないその男は事故の衝撃で記憶を失っているだけなのか。
それとも、人間ではない別の存在なのか。
ベイリーさんの一家にとって大切な存在になっていく「名前のない人」とは何者なのか
クラスのみんなで語り合うのにぴったりの絵本です。

まず、表紙の絵(温かい料理から立ちのぼる湯気に驚いたような表情の男性)を見せながら
「何か気づいたことはある?」とたずねてみました。

子どもたちの反応は、
「スープを見て驚いている。」
「初めて見るみたいな顔をしている。」
「記憶をなくした人なのかもしれない。」
「きっとこの人が『名前のない人』だ。」などでした。

*以下、太字は絵本の文章の引用です。

夏が秋へと移り変わって行く頃
「夏の暑さが終わって涼しい風が吹き始める頃だね。」(教師)
「ちょうど今頃(9月)の時期かな。」(子ども)

ベイリーさんが何かをたずねても、その人は何を言われているのか全然わからないみたいだった。
「車とぶつかったショックで記憶喪失になったんじゃない?」(子ども)
「うん、そうだと思う。」(子ども)
「それで、自分の名前を忘れちゃったから『名前のない』なんだよ。」(子ども)

「ああ、それ捨てちゃって構わんよ」とお医者は答えた。「壊れてしまってるんだ。水銀がちっとも上にあがってこないんだよ。」
「昔の体温計はガラスでできていて、熱があるとガラスの中に入っている水銀があがるしくみになっていたんだ。先生が子どもの頃も使っていたよ。ガラスが割れて中の水銀が出てしまうと危険なので、今はみんな電子体温計を使っているけれど。」(教師)

「医者は、名前のない人は『記憶を失っているようだな』と言っているね」(教師)
「やっぱり記憶喪失だったんだ!」(子ども)
「車にぶつかったのが原因で記憶がなくなったんだよ」(子ども)

男はボタンのとめかたがよくわからないみたいだった。
「ボタンのとめ方まで忘れちゃったのかな。」(子ども)
「でも、そんなことまで忘れることってあるかな?何か変だよ。」(子ども)

温かい料理から立ちのぼる湯気を見て、男はなんだかびっくりしてしまったようだった。
「やっぱり変だよ。食べ物を見てびっくりするのはおかしいと思う。」(子ども)
「記憶喪失といっても、普段の生活のことまでは忘れないんじゃないかな。」(子ども)

ベイリーさんの奥さんはぶるぶるっと身震いした。「うう、寒い。今夜はどこかからすきま風がはいってくるようね。」
「今、読んだところだけど名前のない人がケイティーの真似をしてスープを吹いて冷ましたときに、奥さんが身震いしているね。前のページの、壊れてしまった体温計と何か関係はあるかな?」(教師)
「あっ! もしかしたら名前のない人は、体温がものすごく低い人間なのかもしれない。」(子ども)
「でも、体温計で測れないくらい体温が低いとなると、人間じゃないのかも。」(子ども)
「宇宙人だと思う。」(子ども)
「ボタンのとめ方も知らないし、料理見てびっくりしているから地球人じゃないんだよ。」(子ども)

それどころか兎たちはぴょんぴょん跳んで、男のほうにやってきた。
「兎たちは名前のない人を仲間と思っているみたい。」(子ども)
「野生の兎だったら人間が近づいたら逃げるはず。」(子ども)
「兎たちは、名前のない人を森のほうに誘っているみたいだから、名前のない人は本当は動物なんじゃないかな。」(子ども)

男は疲れというものをまったく感じないようだった。汗さえかかなかった。
「やっぱり変だよ。 ベイリーさんは疲れて休憩をしているのに、名前のない人は、汗もかかないなんて。」(子ども)
「人間じゃないと思う。」(子ども)

ここには何か大変な間違いがあるぞ、と彼は感じた。
「間違いって何だろう?」(教師)
「北のほうは、木の色が赤やオレンジになっているのに、ベイリーさんのところから南はまだ夏のままってことかな」(子ども)
「名前のない人は、自分が誰なのか思いだしたんじゃないかな。絵を見ると、何かに気づいたような顔をしてる」(子ども)

でも名前のない人の姿はもうどこにも見えなかった。あたりの空気はひやりとして、まわりの樹々の葉はもう緑色ではなかった。

名前のない人がやってきて以来、ベイリーさんの農場では、毎年秋になると同じことが起こるようになった。

「名前のない人は、一体何者だったのだろう?」(教師)
「やっぱり宇宙人だったんじゃないかな。いそいで家を出たのに一瞬でいなくなったから。」(子ども)
「体温計で測れないほど、体温が低いし、不思議なことがいっぱい起こっているから私も宇宙人だと思う。」(子ども)
「名前のない人がいると夏のままだったでしょ。だから名前のない人は『夏』だと思う。名前のない人がいなくなったとたんに秋が来るんだよ。」(子ども)
「名前のない人は『秋』だと思う。名前のない人を見ても兎が逃げなかったし、自然は動物と友達だから。最後のほうで名前のない人は秋の葉っぱを見て、自分が誰なのか思い出したんだと思う。」(子ども)
「名前のない人は『木』だと思う。茶色の服を着ていたし、木のそばで葉っぱを1枚とって息を吹いたら色が変わったから」(子ども)
「名前のない人は『季節』だと思う。名前のない人が行くところで季節が変わるから。」(子ども)
「すごい力をもった森の動物だと思う。なぜかというと、うさぎとなかよしだったり、鳥をずっと眺めたりしていたから。あと、最後の場面のところでリスになってベイリーさんの家を覗いている。」(子ども)
「いちばん最後に『また来年の秋にね』と書いてあるから、やっぱり秋だと思う」(子ども)

    <以上、対話読み聞かせは終了>

 対話読み聞かせは、通常の読み聞かせとは違い、読み聞かせの途中で教師が子どもに問いかけたり話したいことがある子どもが自由に発言したりする機会を大切にします。必要に応じて一つのテーマについてペアやクラス全体で話し合う時間をとることもあります。これらを行うことによって、1冊の本についてクラスのみんなで考え、互いの解釈を交流することができるようになります。

通常の読み聞かせでは、話の内容に集中し、最後まで静かに話を聞くことが求められます★。一方、対話読み聞かせでは、話の内容についてどれだけ考えることができたか、自分の考えを伝えることができたか、友だちの考えを聞くことができたかなどのことが大切な要素になります。

教師の立場からいえば、通常の読み聞かせのように、話をすらすら読めるようにしておくことに加えて、どこでどのような問いかけをするか、何について話し合うべきかを予め考えておくことが必要になります。

話を聞く子どもの立場からいえば、話を集中して聞くことに加えて、話の途中で浮かんだ疑問や思いついたことなどを、遠慮なく話せることが必要になります。また、話を聞くことと、話し合うことの切り替えがすぐにできることが求められます。

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以上の実践を紹介してくれたのは、相模原市の都丸陽一先生です。

対話読み聞かせのやり方は、『読み聞かせは魔法!』の第3章で詳しく紹介されています。

都丸さんは、その本の192~3ページで、対話読み聞かせと、従来の読み聞かせ、考え聞かせ、そしていっしょ読みの4つの方法を比較する表を作成してくれています。

今回の選書について都丸さんに尋ねたところ、以下のように回答してくれました。

通常の読み聞かせで選ばれる多くの本は、
読み聞かせをする対象の児童が「聞いてわかること」が条件だと思います。

考え聞かせ、対話読み聞かせを行うと、
「聞いてわかる」本だけでなく、
自分の力では読めない本まで選書の選択肢が広がると思います。
その理由は、先生の説明を聞いたり、友達の話を聞いたり、
わからないことを質問したりと、理解するための要素が増えるからだと思います。

『名前のない人』の場合は、使われている漢字や言葉の言い回しなど、
3年生が1人で読むには、かなり難しいと思いますが★★、
対話読み聞かせによって、多くの児童が話の内容を理解できたと思います。

作品中の「水銀式体温計」「隠者」などの子どもたちに馴染みのない言葉については読み聞かせを行いながら補足の説明を入れています。

一方的な読み聞かせと同じか、それ以上に対話読み聞かせが効果的な理由については、次の引用文から明らかだと思います。
「より典型的な一方的な(教師による)話が行われているクラスの子どもたちと比較し て、(対話のあるクラスの子どもたちは)読んだことをよく覚えており、より深く理解しており、文学を喜び味わう側面に対してより詳しく反応することができます」Opening Mindsの第5章からの引用。Opening Mindsは『言葉を選ぶ、授業が変わる!』の続編として現在翻訳中で、あと2~3か月で出版されますのでお楽しみください)

★ どれだけ理解しているかはすべて聞いている各人に委ねられます。残念ながら、教師はそれを把握する術がありません。子どもたちの顔色ぐらいしか?
★★ この本を大人対象のブッククラブの練習のときに使うことがありますが、大人にも難しいぐらいです!!

2018年10月6日土曜日

作品の読み直し/書き直しをしない子どもたちへの対応

 ライティング・ワークショップで、改善の余地がたくさんある作品が、読み直した形跡もなく、提出されることもあるかもしれません。

 その対策としては、以下の二つがあるように思います。

(1)自分の作品を読み直すときに、具体的にどういう書き直しができるのかを教えていく。
(2)読み直しながら「あーでもない、こーでもない」と思うこともよくあるので、書き手は、そういう「混沌としたプロセス」のなかで(1)のようないろいろな書き直し方を使っていることを示す。

 (1)については、例えば、『ライティング・ワークショップ』(新評論、2007年)の86ページには以下がリストされています。

・書き出しを変える
・結末を変える
・ある部分を付け加える
・話の順番を変える
・ジャンルを変える
・視点を変える
・文の調子を変える
・時制を変える
・大切な場面を膨らませる
・一部に焦点をあてる
・長い部分を複数の部分に分ける、あるいは章立てにする

 『イン・ザ・ミドル』(三省堂、2018年)にも、165ページに「書き手が使う技についての、必要不可欠なミニ・レッスン」の項目がリストされています。

(2)の「混沌としたプロセス」ですが、一般に「書くプロセス」と言われると、「アイディアを出し、下書きをし、それを読み直し、書き直し、推敲して、校正をする」等の段階が浮かびます。でも『ライティング・ワークショップ』の著者たちが言うように、書くことは一直線には進まずに複雑な過程を進み、現実には書き手は各段階を行ったり来たりしています(『ライティング・ワークショップ』81~83ページ)。

 (私自身の書くプロセスを振り返っても、この点は納得です。書き直している間に、最初に書こうと思っている主な内容が大きく変わることもよくありますし、数日前に書いた下書きが、書き直しているうちに、ほぼ原形をとどめないことも、私の場合はけっこうあります。)

 中学校レベルの優れた実践者のナンシー・アトウェルは、「読み直して、書き直す」ことを教えるには、生徒たちに「実際に読み直して書き直すことがどういうことか」を、しっかり教師が見せて教える必要があるとしています。

 それを示す効果的な方法が、教師が書くプロセスを見せる」とというセクションで詳しく述べられています(『イン・ザ・ミドル』166~168ページ)。

 その方法を簡単に紹介します。

 教師は用紙に向かい、手元の様子をスクリーンに映して、「自分の頭の中を生徒に見せると決めて、生徒たちに、上手に書けるようになりたいと思っている大人、つまり教師の頭のなかで何が起こっているのかを、しっかり観察するように言う」ことです。これで、「生徒たちは、何とかしてよい文を書こうとするときに生じる、手のかかる面倒なプロセスを目の当たりに」できる、のです。(167ページ)

 ⇒ 『イン・ザ・ミドル』の共訳者の一人、あすこまさんは、これを教室で行っています。その様子はあすこまさんのブログ「改めて感じる、教師のデモンストレーションの手応え」で、ぜひどうぞ!
https://askoma.info/2018/10/06/6934

 他のやり方もあります。それは、「自分の書いたいろいろな段階のものをさがし、それを残しておいてコピーし、教室で使えるセット」をつくることです。生徒はそれらを「書くプロセスについての研究者」として、「調査」します。生徒たちは、いろいろな段階の原稿を「調査」したあとで、書き手としての教師が、何をどういう理由で行っているのかについて、一緒に考えます。具体的かつ明確に何ができるのかを知るためです。(『イン・ザ・ミドル』167ページ、および、次の「教師が自分の書いた詩を使って教える」というセクション、168~174ページ)。

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 『イン・ザ・ミドル』には12~14歳ぐらいの生徒の書いたものがたくさん掲載されていますが、思わず引き込まれる作品が多いです。それは、「読み直して書き直すことがどういうことか」を、教師がはっきり示していることに加えて、「書くことは、紙の上でひたすら考えに考え抜くことで、そのやり方はたくさんある」ことを、ワークショップ開始の早い時期のミニ・レッスンで扱っていることも、後押ししていると思います(このミニ・レッスンについては161~163ページ)。

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 『ライティング・ワークショップ』の著者たちは以下のようにも述べています。

・「忍耐をもって子どもたちに接してください。教師は書くことを教えるのに熟達してくると、実は子どもたちは「書き方のテキスト」が言っているようには書かないのだ、という厳しい現実を学んでいくことになります。」(『ライティング・ワークショップ』147ページ)
・「教師がすべての子どもたちに一つの書くプロセスを押し付けることは大きなまちがいであり、それは書き手としての子どもを潰してしまうことにもなりかねません。」(82ページ)

 自分の書くプロセスを眺めてみても、「アイディアを出す ⇒ 下書き ⇒ 推敲 ⇒ 校正」 と一直線に着々と進まないからこそ、混沌とした中でできる、いろいろなことを教える価値があるのだ、と改めて思います。