2015年6月26日金曜日

仲間や同僚とブッククラブをする10の説得力のある理由



仲間が一人得られたら、広く呼びかけて始めてみる!!
ブッククラブおよび本を読むことによって得られるものの多さ(広さと深さ)については、ここでは紹介できないので、『読書がさらに楽しくなるブッククラブ』と『「読む力」はこうしてつける』をご覧ください。

それでは、説得力のある10の理由です。

10 肩書きは外して参加する ~ みんなの発言は同じレベルで価値がある。従って、学べるものが多い
9 参加者が、よりよい実践のヒントを得る ~ 本からも、そして参加者からも
8 本をベースにした話し合い ~ 何はやり続ける価値があるのか? 何は改善する必要があるのか? 何は新たに試してみる価値があるのか? などが明確になる
7 参加者の選択の大切さ ~ 興味の湧かない本のときは参加を控えてもいい。個々人の選択はとても重要。(それと並行してある個々人の「主張」も!) 同じことは、教室や授業の中でも言えること。教師が先ずは、主張や選択の体験をより多くもつことが大切
6 自分たちが学び手としての真の体験★(具体的には、個別化された学び、目的/意味のある話し合い、参加者同士の協働/刺激のし合い、クリティカル・シンキング、振り返りなど)をする ~ それが、授業で子どもたちを対象に活かせることになる
5 参加者はよりよい実践をしたいと思っている ~ プロとして、さらなる高見に上り続けることが大切。これで、十分というものはないのだから
4 実践に新風を吹き込む ~ 実践はすぐに停滞しがちだし、変化を起こすこと、新たな取り組みをすることへのハードルも高い。仲間や実践を裏づける本があれば、納得が得られて踏み切れる可能性が高くなる
3 絶えず自分の実践を振り返る ~ ジョン・デューイが言ったように「私たちは体験から学ぶのではなく、体験を振り返ることから学ぶのである」。ブッククラブほど、自分の実践を振り返るのにいい場はない
2 学年や教科の壁をとっぱらった話し合いに価値がある
1 実際にブッククラブで読んだ本の執筆者たちに会える可能性も開ける

 以上は、読み・書きに関する教師用の本を読むのが大好きという人が、1年間同僚たちと3冊の本を読んだ体験をベースにまとめたものです。多いときは、17人も参加してくれたそうです。来年度も、間違いなく続けると書いています。かける時間に比して、これほど得られるものの多い学びは、他にはないので!!
 あなたも試してみませんか。

出典:https://nerdybookclub.wordpress.com/2014/08/16/top-ten-reasons-for-starting-a-staff-book-club-by-megan-skogstad/

★ 学びの「真の体験」という意味では、教師が一般的に体験している集合研修や校内研修・研究よりも、はるかにこちらの方が効果的・効率的だと思います。従来の研修・研究に、ここで紹介されている要素のどれだけがあるでしょうか? 授業の悪いモデルになっている要素の方が多いのではないでしょうか?★★ なお、クリティカル・シンキングは「批判的思考力」と訳すのではなく、「大切なものを選び出す力」や「大切でないものは排除する力」の方が的を射ていると思います。学校が、これがなくて苦しんでいるのを見るにつけ。

★★ もっと言えば、「自分たちが学び手としての真の体験」をし続けている教師はどのくらいいるでしょうか? 先生たちはいい人が多いのですが(教師になることを選択して、悪い人がいるでしょうか!?)、結構多いのが学びを卒業してしまった人=継続的に学んでいない人です。教科書をカバーするレベルなら、学び続ける必要はないと判断してしまうのかもしれません。 そこから逃れるためにも、ブッククラブは効果的です。主体的な取り組みですから。それに対して、集合研修や校内研修・研究は常に「やらされ感」が充満していますから難しいです。

2015年6月19日金曜日

武田忠『「学ぶ力」を育てる教育になにがかけているか』と『理解するってどういうこと?』


 
  前から気になっていた、武田忠さんの『「学ぶ力」を育てる教育になにが欠けているか―「問い」と「吟味」の力が授業を甦らせる―』(ブイツーソリューション, 2015)を読みました。『理解するってどういうこと?』と共通する指摘がたくさん見つかりました。たとえば次のような。

・「問い」によって、読み手は、初めて「確認」をこえて、自分にとってどんな理解が可能かを確かめることができる。しかし、その理解したと思えることでも、理解が不十分だったり、誤っていたりすることはたえず起こってくる。少しでもそれを避けようとするなら、分かったつもありでも、果たしてその理解で十分なのか、その理解の内容を「吟味」する慎重さが必要である。(『「学ぶ力」を育てる教育になにが欠けているか』29ページ)

・ことさら、子どもたちの「真実の内在化」★の学習に向けて、子どもたちの自発的な「問い」を大切にし、子どもたちの「自ら学び自ら考える」授業に取り組むとするなら、教師は一層「わからないこと」に対応していく必要に迫られていくことになるはずである。(同書 185ページ)

 ★「学び手自身が物事の「真実性」を確かめた上で受け止め、自分の理解をつくっていく」学び方のこと

武田さんとエリンさんは、ともに、考えて、読み、「問い」を持つことをたいせつに思っています(思うだけでなく、文章のなかで実演しているからです)。武田さんの本は、小学校の国語教科書教材を例にしています。もちろん、国語教科書をカバーする教育を彼が唱えようとしているからではありません。その逆です。「定番」と言ってもよいほど長い間使われている教科書教材が分析の対象となっているのは、それらの教材の従来の扱われ方をまさしく問うためです。教材の採択だけでなく、その解釈や授業での発問や活動のすべてが「定番」化してしまっていることを批判し、大切なところをしっかりと見極めるべきだと、武田さんは言っているのです。
 
 「ごんぎつね」(新美南吉)の結末の解釈に見られる、ごんが「うれしさ」を感じていてほしいという無理な願望を温存してきた余り、「うら口」から入ったごんの意図と、あくまでも害獣を撃つべく非情に発砲したに過ぎない兵十の行動(と後悔?)とのズレを見逃してきた「ごんぎつね」解釈史・授業史への疑問や、「でも」という接続詞一つへの着目によって、「一つの花」解釈史・授業史で見逃されてきた「おかあさん」の暗黙の行動が、この物語の最終場面でコスモスの花をいっぱいに咲かせたというするどい指摘。いずれも読者としての私を考え込ませ、作品の再読と発見にいざなうものでした。「問い」を抱くことで、自明と思われていたことも、はじめてのことのように接することができことができる。だからこそ武田さんは、誰も指摘していない大切な意味をつくり出すことができたのだと思います。

 第三部「3」の「「問い」作りからの新しい教材研究、発見の楽しさ」には教員免許の認定講習会での「教育学」の講義の模様が描かれています。こうしたところにも『理解するってどういうこと?』との共通点を見ることができるでしょう。120ページから123ページにかけて引かれている、講習参加者の先生方の「感想」には、講習のなかでのワークショップで作品解釈上の発見をいくつもして、そこにおもしろさを覚えていったことがわかります。そのことが読むことの授業をおもしろいものにしていく一番の近道であることを、私も思いました。これらの「感想」は、武田さんの「理解のための方法」を使って、考えながら、先生方がじっくりと考えた末につかんだ理解の成果であったと言えるのではないでしょうか。それらの「感想」の内容は、『理解するってどういうこと?』第4章後半でのサラとオードリーという二人の先生の対話(この対話もエリンさんの研修の一コマでした!)のなかでの発見を彷彿とさせます。

武田さんの本はこうして理解のための方法を使って、その作品に取り組みながら、じっくり考えた成果を明るみに出しているからこそ、深い認識と理解を示すことができたのだと思います。実際、『「学ぶ力」を育てる教育になにが欠けているか』の第三部で「文学作品の「問い」作りの困難さの主な原因」が三つ挙げられていますが(113~114ページ)、武田さんの解決法は、「推測する」「イメージを描く」「解釈する」等の理解するため方法(『理解するってどういうこと?』資料A参照)を使うことであると言えるでしょう。

レベル分けされた作品(つまり、教科書教材)をもとにここで探究されたことを、いろいろな作品に応用していくことができるなら、深い理解を繰り返しながら生きていくことのできる人を育てることができるのではないかと思います。代表的な教科書教材を武田さんが分析し、解釈するくだりは、まるで読者に「考え聞かせ」をして、深い理解のモデルを示してもらっているようでした。それをもとにして、実演してみせたり、疑問点を相談したり、話し合いをして共有をはかったりすることで、武田さんの問題提起をより深く「理解する」ことができるように思います。いや、そもそも学びをつくり出すとはそういうふうにしていかなければできない、ということを、この本は示そうとした(語ろうとするのではなく)のだということに、思い至りました。『理解するってどういうこと?』と読み比べることで。

2015年6月13日土曜日

ベスト・コーチングの再放送

今日の2時から(サッカー)と3時から(テニス)、両方の再放送があります。
http://projectbetterschool.blogspot.jp/2015/05/blog-post_17.html
見逃した方は、ぜひ見て(録画して)ください!
そして、ぜひ感想をお聞かせください。

2015年6月12日金曜日

ポスター・セッション? 中グループの活用

 RWやWWでは、「ミニ・レッスンを全員」に、「カンファランスは個人単位」で、そして、時には「ピア・カンファランスやグループカンファランスを小グループ」で、と、学習者の人数から見ると、3つの単位(全体、個人、小グループ)が、あるように思います。

 この頃、感じるのが、一つのクラスでの人数の多い場合、上の3つに加えて、8~10名ぐらいの中グループを活用できないかということです。

 例えば自分が選んだテキストの紹介を考えてみます。

 せっかく全体に紹介しても、人数が多いクラスですと今一つ集中できない学習者が出ることもありますし、1時間に紹介できる人数も限定せざるを得ません。

 かといって小グループ内だけで紹介すると、(4名のグループだと)3名しか聞けません。

 この前、40名のクラスで、それぞれが選んだテキストから、大切な文を紹介してもらったのですが、以下のような動きをしてみました。

 通常は4名グループで座っています。 

 各グループから1名ずつ集めると、10名のグループが4つできます。

 その10名で丸くなって、立ったままですが、紹介。その際、今回は、大き目の字で書いた、自分が選んで抜き書きした大切な文を見せる形にしました。

 自分が抜き書きしたものを見せるために、壁をうまく使っているグループもあり(その場合は半円になって)、それを見ていて、「ポスター・セッション」のイメージだなと思いました。



  
 プレゼンをする人の周りに半円になっているほうが話しやすい感じがしました。ちょっとしたことでも、物理的な距離感が変わると雰囲気が変わるのも実感です。
 
 あとは、それぞれが自分のグループに紹介したいもの2つ程度を選び、メモを取って、グループに戻り、グループでそれぞれが得てきた情報の共有です。

 ある意味、全員に同じ形式を強いているのですが、20名程度のクラスでは全員に行うことであれば、それを40名のクラスは中グループにしてみる、そんなイメージです。



 例えばポスター・セッションのような立ち位置での、「作家の椅子」や「読書家の椅子」、そして共有の時間のバリエーションなど、もう少し考えてみたい気がしています(実際のポスター・セッションは、もちろん、人数がバラバラですが、その人数を中グループにして行うというイメージです)。

2015年6月5日金曜日

一人ひとりの子どもを大切にするアプローチ



「年度の終わりまでに、子どもたちにどのような読み手(書き手)になってほしいか?」 を年度当初に考えたことはありますか?
 それを設定するかどうかで、実践も自ずと変わります。(具体例は、下をご覧ください。)
 必ずしも教科書を順番にこなしていくことで、それが達成できないことがあり得ますから。
 教室には多様な子どもたちがいます。
 教科書のレベルをはるかに超えた子から、まだそれに到達できていない子たちまで。
 そうした多様な子たちに対応できる教え方が、リーディング・ワークショップ(ライティング・ワークショップ)です。まさに、今回紹介する本のOne Child at Time, by Patricia Johnson (Stenhouse)のタイトルにあるように(左側の数字は、本のページ数。 ~の後は、吉田のコメント)、一人ひとりの子どもを大切にするアプローチです。

第1章 読むことに困難を抱えている子たちを教える際の枠組み
2 困難を抱えた子ほど、その子にとってオーダーメイドの教え方をされた方が、よく学べる。 ~ できる子は、それなりに自分であわせることができるが、できない子はそれが難しい。(もちろん、誰にとってもZPD=誰かのサポートでできるようになるところで教えてもらうのがベスト!!)その意味で、一斉授業でない、カンファランスやガイド読みは効果的。より詳しくは、『読書家の時間』の第10章を参照ください。

4 読みのシステム(枠組み)を自ら構築できていない子どもたち
  そのためには、優れた読み手がどう読みのシステムを構築したのかを知っている必要がある。

5 here’s what, so what, now what, then what ~ 一人の子どもとの関りかたの枠組み(4段階モデル)

6 Here’s what は、子どもができること、できないこと、もう少しでできることを把握する過程。子どもについて知る段階。 そのためには、優れた読み手のシステムを知っていないといけない。それに照らし合わせて把握するから。

7 So whatは、優れた読み手のシステムに照らし合わせて、しっかり確認する段階。

9 Now whatは、実際に教える段階。方法は5つ。
     modeling  モデルを示す
     scaffolding = doing it with him/her 一緒にする
     prompting  きっかけと提示する
     backing off  子どもがするのを観察する
     reinforcing  改善点を補強する

10 対象は、方法(頭の中で起こっていること)か行為(見えたり、聞こえたりすること)

  Then whatは、教えたことが身についているか/使われているか確認/観察する段階。

第2章 基盤を築く
14 情報源: ①意味(関連づけすべて)meaning、②言葉の構造(文法)syntax、③見えたり・聞こえるものgraphophonics を統合して解釈することが読むこと ~ この部分について、より詳しくは『理解するってどういうこと?』の第5章を参照してください。
15 優れた読み手は、これら3つを複合的に、柔軟に活用して、意味を作り出している。

17 方法といったら、理解のための方法のこと。 ~ 「理解のための方法」について詳しくは、『「読む力」はこうしてつける』を参照してください。(以下の、「責任の移行」も、同書の65~68ページに説明してあります。)

20 読み書きに適した環境の大切さ ~ 教室内の図書コーナーや読みたくなるような教室のレイアウトなど(詳しくは、『読書家の時間』の第2章を参照ください。)

21 Balanced Literacy Approach ~ 「責任の移行」を実現している教室
  上は、教師がする   (読み)      (書き)
                              Read-aloud            Writing Demonstration
                              Shared reading        Shared and interactive writing
                              Guided reading             Guided writing
                              Independent reading    Independent writing
  下は、子どもたちがする
 ※教え方のバランスが鍵!!!


第3章 主体的な参加
27 「年度の終わりまでに、子どもたちにどのような読み手になってほしいか?」 ~ 日本の国語教育や図書教育では、この問いを大切にしていますか??

     読むことが好き
     学校でも家でも自分で主体的に読む
     多様なジャンルの本を読む
     滑らかに読める
     読んでいるものを理解できる
     読んでいるものに集中できる
     自分の読みを修正できる
     わからない単語や文章を克服できる = 問題を解決できる読み手

28 主体的な(自立的な)読み手は、いろいろな方法を使って問題解決ができる。

  読む際の流れのようなものを学び手/読み手の頭の中に押し込むことはできないので、一人ひとりが多様な方法を自分で使いこなせるようになる必要がある。
  教師の役割は、それらの方法をモデルで示したり、きっかけを提供したり、サポートしたり、そしてできるようになったら引き下がること。
  読んだ振りをしている子どもたちは少なくない。 ~ 特に、朝読の時間や図書の時間に多い? 国語の時間は、理解している振り?
  受動的/受け身的な子どもには、主体的/自立的な読み手になってもらうためのサポートが大切。「意味をつくり出すプロセス」と捉えられる「読む」という行為に必要な方法を身につけ、そして使いこなしてもらうために。